教会めぐり・最終回
福祉施設教区移管に関する重要案件で顧問にメール。東京でのMEの会議にバチカン大使を招待する手紙。紹介状。ヤレヤレ何とか片付いた。さて、早めに寝る・・・オッと教会めぐりを忘れていた!
小宿小教区で最も歴史があり、最も栄えたのが知名瀬教会。幼稚園が開設されたこともある。その時の園舎が、司祭館として使用されたりもした。現在は信徒会館と教会学校のクラス。
宣教開始は、なんと、1893年。フェリエ師が名瀬に上陸したのが1891年12月31日。ほとんど1892年ということになる。その翌年の9月となっているのでかなり早い。修道女も多く輩出。高齢化は時の定めだとしても、未信者の子供たちが十数名教会学校に在籍。しかもリーダーは子供たちにとってはおじいさん。さすが信仰の故郷。
祭壇後ろの左手には保護の聖人・聖師ザビエルの真新しい像が。わけあって、福岡教区の鵜野神父さん手作りの像が寄贈された。ザビエル様の鹿児島上陸にあやかって、海岸から教会まで御像を御輿に担いで行列したという。もちろんここでもみんなで熱く祈った。
帰りしな、村はずれの「モレ岩(洞窟)」前を通過。かつてハンセン氏病の人々が身を寄せたところ。当時、明治26,7年頃?の司祭は修道女志願者に、彼らの世話を命じたという。奄美でのボランティアの草分け?モレは「物乞いの人」の意。
そのまま旧道の峠越えで小宿に帰還。
戦争中、スパイの嫌疑を受けて追放された宣教師たちが奄美に帰ってきたのは1946年。昭和21年。小宿宣教は5年後の1951年。名瀬の町からは一山超えただけなのに比較的遅い感じがする。多分名瀬周辺での教会復興に時間がかかったのかもしれない。
トンネルが二つも出来たお陰で地の利を得て、今では名瀬のベッドタウン。そのため、数年前、司祭館も知名瀬から移転。ニカラグア出身の若い司祭を迎えて活気付いている。18日の歓迎会では十字架の前で演歌「加計呂麻慕情」の踊りも披露された。イエス様も目をパチクリ?
これで六教会の巡礼はとりあえず終わり。
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