中高生長崎巡礼同行記2
28日水曜日。快晴。愛宕教会でのミサ後、アウシュビッツの聖人コルベ神父様ゆかりの本河内(ほんごうち)聖母の騎士修道院へ。本場フランスのルルドの水に成分が良く似ているので名高いルルドへも。
週日というのに大浦はさすがに賑わっている。中国語らしい言葉も飛び交っていた。洒落た土産物屋が続く坂道をゆっくり上がると国宝大浦天主堂が気高い姿を見せた。
なんと、いくつものお土産店が入っている左手のチョコレート色の大きな建物は「真宗大谷派」のお寺さん直営。吹き抜けを入ると土産物屋の裏が本堂入り口だったというのには驚いた。もっとも、右手のチョコレート色の建物。こちらはカトリック大浦教会。その地下も土産物屋がたくさん入っている。まあまあ・・・。
名物皿うどんで腹ごしらえの後、今日の本命長崎街道に挑戦。バスで運んでもらって午後2:10出発。30年ほど前に来た26聖人の上陸地点は埋め立てられ、大きな電光掲示板が建てられていた。
1657年2月4日午後11時。一行は船で大村湾を渡り、そまま船で一夜を明かしたという。12歳の子どももいたというのに、病気になったりしなかったものか。しかも、厳しい待遇の元真冬の道中一人の落伍者もなくたどり着けたとは!それだけでも奇跡に近い。そんなことを思ってかみんな黙々と歩いた。
バス通りをはずれ、浦上川を渡ると街道は閑静な住宅街に。まず、親子三名(通称ベアトスさま)のお墓で祈り、平和公園下を通り、一本足鳥居から外人墓地を右手に見ながらロザリオの祈りが続いた。
西坂に近づくにつれ、街道が海沿いの険しい道だったことをうかがわせる崖の名残も見える。海からの冷たい風に吹き晒された26名。当時を偲ぶだけでも祈りになる。しかし、26名が休息したという場所は住宅建設の重機の音で祈りどころではなかった。
足に豆を作っても歩き通したKちゃんをみんなが拍手で迎えた。26聖人レリーフの前でみんなで感謝の祈りを捧げた後、中央の七本の十字架に手を伸べて各自で祈った。十字架上で主を称えた殉教者たちの熱い信仰に浴しているようでいつまでも手を伸べたままじっとしていたかった。4:50。こうして2時間40分の巡礼の旅は終わった。
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