三度目の正直
お昼の後、再度、稲荷川へ。イヤ三度目だ。今回の目的は、ザビエル一行を乗せてきた中国人密貿易商人アヴァンのジャンクが投錨した地点の確認と薩摩軍軍港跡地の確認。
四十分の徒歩はかなり汗ばんだ。現在のザビエル上陸記念碑の上流約300メートルの当りを田の浦といったらしい。多賀山の南麓には高層マンションが林立するがその真下当りが一番水位が深かったという。
ザビエル一行を乗せたジャンクは2~300噸ほどだったといわれるが、当時としては大きな方だったのでこれ以上は進めなかった。少し上流の戸柱港まで艀(はしけ)で移動したのだという。前回紹介した戸柱港は当時の船着き場。1609年琉球遠征の薩摩軍の軍艦が船出したのもここ。
しかし、少し中に入ったところにある春日神社には「薩摩軍軍功跡地」の石碑が建っていて、案内板には「当時このあたりは海・・・」とあるので、現在の戸柱橋のかかる当りから神社の当りまで海だったということなのかよく分らない説明だ。
ザビエル一行は7,8名だったという。一年間どこに住んだのだろうか。貧しさを愛したザビエルは、武家屋敷ではなく、当時の庶民の住む柳町を選んだのかもしれない。しばし町を眺めていると、街角からヒョイとザビエル様が現れそうで楽しくなる。
ザビエル一行を鹿児島に運んだ船長のナヴァンは鹿児島滞在中に亡くなったという。今なら、「神様が彼の働きにお報い下さるに違いない」と言うはずだが、時代とはいえ。
- ・・・彼は渡航中私たちにいつも親切でしたが、私たちは彼に対して親切になれませんでした。なぜなら、彼は不信仰のままで死にましたので、その魂は地獄にいるのですから。その死後においても、私たちは神に祈ることによって親切になることが出来ませんでした。(聖フランシスコ・ザビエル全書簡3 河野純徳訳 164頁)
ともかく、気になっていたことがある程度解決したので今日に乾杯。
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Re:三度目の正直
こういう歴史を想い、その当時を空想して歩くのもいいですね~!日本で初めてのキリスト教伝来の地だからでしょうか?今にもザビエルさまが歩いてきそうですね!
昔、まだこのあたりが埋め立てられていない頃、ちょうど教会に行き始めていた私もこのあたりがザビエル上陸地なんだ・・と空想しながら散策した想いがあります。
司教さまの歴史の授業のような案内、楽しいですね!
ちなみに私は最近、帰鹿しなくとも好きなときにザビエル上陸記念碑を見ることができます。(もちろん、インターネットでですが・・)リアルタイムでの鹿児島はそれこそウィンドウから覗いているように新鮮に見えます。
よろしかったら司教様もどうぞ『今日の桜島Ⅱ』を紹介します。
『今日の桜島Ⅱ』のURLは、http://www.painter.co.jp/sakurajima2/video2.htmです。
よかったらアクセスしてみてください。
Re:三度目の正直
コメント有り難うございました。立場が立場だけにこれまで不勉強だったザビエル様のことを知らなくちゃ、とにわか歴史家になって色々読んでいるのですが・・・。戸惑うこともありますが、ザビエル様が、すでに「福者」の尊称を受けていたことからするとやはり生前から、「聖なる人」の誉れ高かったのだと思います。
ご紹介のページ早速訪ねました。色んな発信の仕方があるんだなあと感心しました。その点、教区のHPにもこんな感じの発信をしたいと思いました。有り難うございました。