「多様性の一致」と出会った日
1895年、若干30歳の司祭が、中国宣教を果たせなかった我らがザビエル様の意思を次ぐべく創立したのがザベリオ宣教会。
創立者の名はグイド・マリア・コンフォルティ。1996年福者にあげられた。ザビエル様の意志をついで、というのがいい。来年秋にも列聖の運びという。目でたいことだが、ともあれ、ザビエル様あっての鹿児島の教会。その意志を次いで今度は私たちが宣教の海に乗り出そう!鹿児島教区の心としたい。
明日は創立者の命日、ということもあって宮崎の本部に招かれた。小教区をはじめ、諸宗教霊性交流センターの専従司祭に芸術家に料理人あり、集まった会員はまさに多士済々。「先ず宣教。手段として修道生活。」ここが教区司祭と決定的に違う。つまり共同生活は修道生活の必須条件。だから、小教区で一人で働いていても月に数回は共同生活のため本部に集まる。
一方、教区司祭はまさに気ままな一人暮らし。月一で集まる必要すら感じない。それは仕方ないとしても、教区司祭=小教区司祭、の固定したイメージは如何なものか。
修道会が縮み傾向にある今日、教区司祭のカリスマが「先ず宣教。手段として多士済々」は自然の成り行き?小教区専門司祭に幼稚園、学校に福祉、青少年に外国人、さらに芸術家に音楽家などなど。教区内の幼稚園からシスターたちの撤退が相次ぐ現実を思うとき、教区司祭にもさまざまな専門職がいていいと思う。
そんな思いを強くした一日だった。
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