タイの殉教祭
10月23日(土)タイ東北の村ソンコーン((ムクダハーン郡)での殉教祭の様子を少し紹介して旅の話を締めくくりたい。
今日は7人の殉教者列福記念日。メコン川に近い片田舎の殉教地は朝からバスを仕立てて各地からやってきた信者たちでにぎわった。その数およそ3000。ターレ大司教区のルイス司教様とともに記念ミサ。司祭たちはおよそ30名。
ミサ後、7名の殉教者の遺影を埋め込んだ記念の十字架を7名の司祭と司教が奉じながら、大聖堂正面約300m先の7名が殉教した場所まで盛大な行列。二人の司教には傘持ちが。炎天下の中、ほかの人々には気の毒だったがおかげで日陰を行くことができた。ここでも司教への特別待遇に甘んじることに。殉教者たちをたたえる大きな記念碑(聖堂内祭壇右下に安置された聖櫃)が殉教地に奉納されて行列は終了。
ヤレヤレと汗をぬぐって帰りかけたと思ったら、手にした十字架と司教の指輪に接吻する人々の波に飲まれた。行く手を阻まれなかなか開放してもらえない。かねては恥ずかしがり屋で無口、なによりも朴訥なふるさとの人々を髣髴とさせる面立ちの人々であるだけにこうした熱い信仰表現に触れると戸惑ってしまう。しかし、日本の人々の淡白な信仰表現はあまりにもスマートすぎて物足りなく感じてしまう。ここの人々も確かフランス人宣教師を信仰の父としている点に関してはふるさと奄美と同じ。なぜこうも違うのか。
「アジアの文化の中でイエスの物語を語る」という3年前のアジア宣教大会のテーマが脳裏を掠めた。こうした熱い信仰表現はもしかしたらアジア古来のものなのかもしれない。アジアの人々にとって信仰表現はもともと情熱的ではなかったのか。少なくとも、奄美の島歌は搾り出すような裏声が魅力だ。太鼓に踊り、そして六調。感極まったらテンポが上がる。そういう意味では情熱的。信仰も感極まったら体で感じたいと思うのは自然ではないのか。その点、タイの中で最も貧しく素朴な東北の人々はむしろ自然だと思う。
ともあれ、外国の地で地元の教区の殉教祭の三倍あまりの仕事をすることになるとは!
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