教会が社会に繋がった日
1987年12月8日。無限罪の聖マリアの祝日。実は、この日が鹿児島きぼうの電話開局記念日。当日は、ローマ出張のため今日に繰り上げて今日20周年を祝うことに。
女子高校生からの電話にうろたえた。忘れもしない。日曜日の夜7時のミサ5分前。「死にたいんです。」「そ、そんなこと簡単に言うもんじゃない。エト、エトあなたはこの教会、分る?」「ハイ。」「じ、じゃ、明日にでも来てもらえないかな。直接話したいんだけど・・・。」「ハイ・・・。」信者達が待っている。どうしよう。結局、ボクは彼女の苦しみに耳を傾け、寄り添うことよりもミサを選んだ。
翌日、彼女は現れなかった。当然といえば当然だ。それから、朝刊に目をやり、自殺の記事がないか調べる毎日が続いた。結局それらしい記事には出会えなかったものの、「ボクは彼女を見捨てた!」それ以来、そんな自責の念が蘇っては消えた。
教区方針の一つに相談電話開設が歌われたのは、それから間もなくしてのことだった。二度と同じ過ちを繰り返してはならない。贖罪(しょくざい)を果たすような思いで奔走した。そして、二年ほどの準備期間の後、ついに開局の日を迎えた。トップバッターのシスターがブースに入った。事務局員一同ガラス戸越しに固唾を飲んで見守った。直ぐにベルが鳴った。「ヤッター!教会が社会と繋がった!」歓喜しながら顔を見合わせた。シスターは相づちを打ったり、質問したりしながら、一生懸命聞いた。2時間後、興奮覚めやらぬ上気した顔のシスターが出てきた。
他のことを書くつもりだったが、ヤッパリ思い出話になった。2:00ボランティアと感謝の祭儀。そして、なごやかに祝賀の茶話会。「ホントに実現するのか?エッ、十周年!?奇跡だ!それにしてもいつまで続くのか?もう20年か。すっかり定着。」顧問の竹山神父さんが本心を語られた。
今日の走りは9キロ当りで歩く誘惑に。それでも、終わってみたら、昨日より速いペースだった。明日は、吉野教会で洗礼と堅信のダブル・ヘッダー。
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