ここでも新たな旅立ち
2日夕方6時、小宿(こしゅく)教会黙想会。主任司祭から示されたテーマ「神様の慈しみ」をめぐって1時間。
例によって放蕩息子のたとえ話から、祈りながら待つ神の慈しみ。そして、無条件の赦しにみる慈しみ。イザヤ49章16節「私はあなたを私の手の平に刻み付ける」から、「神の痛みの神学」に飛び、十字架の主の苦しみに心を痛める父の慈しみ。手のひらに頬をうずめる幼子の彫り物を紹介。
講話が終わると、何人もの人が寄ってきて恭しく手に取りある人は自分の体にある人は自分の頭に、ある人は両手を合わせて拝み、かつて見たことのない反応に驚いた。最後はエフェソ2章10節「私たちは神の手作り」。手作りと既製品の違いから心をこめ、思いをこめ、そして愛をこめて出来上がった私の存在にこめられた父の慈しみ。堅信を受ける中高生も参加していたのでやり取りができたので楽しかった。
3日(日曜日)洗礼2人、初聖体4人、堅信4人。ミサ直前まで朗読の特訓が続き主任司祭の力の入れようが伺えた。堅信はシスターが隣の小教区からやって来て1年半もの間準備にあたったのだという。久しぶりということもあり、しかも洗礼と初聖体もあって、三つの秘蹟が同時になされるということもあってか、聖堂は人で溢れ急遽臨時の席が用意されたほど。
洗礼、堅信はお手の物でも初聖体の式というのははじめて。4名が呼び出されて三つだったか、四つだったかの質問がなされた。内容は忘れたが「・・・約束しますか?」「ハイ、約束します!」「・・・頑張りますか?」「ハイ、頑張ります」など司式者とのやり取りが斬新で、元気な返事がほほえましかった。担当したシスターは「大きな声が出るか心配だったがちゃんとできたのでほっとした。」
震災や原発事故があっても春は旅立ちの日。それぞれが頂いた恵みを無駄にすることなく、教会の大人たちともども神様のいいボランティアとなって欲しい。
好天のもとガジュマルの下での弁当パーティーも楽しかった。いろいろなことを体験して信者たちも成長しているようで、いい共同体ができているのは嬉しかった。
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