この場を借りて・・・
二冊の本が届いた。いずれも今どきのもの。下山の思想と死にいたる虚構。前者は注文、後者は友人からの進呈。いずれも少しだけ呼んだ。だから、コメントする資格はないが、
「民」が針で目を刺され見えなくさせられた奴隷を意味する文字だと知ってギョッとした。だから、「民という字は嫌いで、人民といういい方も民主主義という言葉も嫌い」(下山の思想16頁)なのだという。早速二つの辞典に当たってみた。どちらにも同じ意味があった。なるほど!普段、意に介することなく使用している言葉に立ち止まり深い洞察をめぐらすことができるセンスは、さすがに、著名な作家。羨ましいような、妬ましいような。
突然だが、イエス様は日常目にしたり口にしたりするものを取り上げて教えを説かれた。「あなた方は地の塩である。塩に塩気がなくなればその塩は何によって塩味がつけられよう」(マタイ5,13)。無学な人々でも思わず「なるほど!」と合点したに違いない。そんな話術が受けて?人々は「権威ある新しい教えだ!」(マルコ1,27)と歓喜した。そして永遠のベストセラーに。
話はそれたが、上述の一文を読んで感じるのは、物を書く人の視点の新しさはイエス様の新しさに通じるものがあるように思えてならない。そんな「新しい視点に立った福音」を説く者としては、だから羨ましいのだ。そうは言っても、めげずにみことばのネットを張り続けるのは楽しい。第一、売れるか売れないか全く気にする必要がないから気が楽だ。無視されようが痛くも痒くもないところがいい。無責任な感じもするが、自分なりに訴えたいことは訴えているつもりだ。
本心をいえば、目の前の限定された聴衆+αという不特定多数の聴衆に語っているという自負はある。だから、日曜日説教する司祭たちに言いたい。+αのためにネットを張りさえすれば居ながらにして宣教していることになる。フェイスブックができるなら、是非宣教的説教に乗り出して欲しい。日曜日になると日本各地の教会から、みことばのネットが一斉に放たれる。想像しただけでも楽しいではないか。司祭たちに説教とは釈迦にナントカ?
魔法の靴での初散歩は靴ずれもなく50分。明日は走ろう。
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