ついに被災地入り
いつだったか、近代文学館での島尾敏雄展11月13日まで、の記事を読んだのは。ぜひ行きたい。そう思っていたところに、
写真家の息子さんから招待状が届けられた。ようやく時間がとれたので去る月曜日7日、じっくり1時間半。時代を追いながら主な作品が紹介され、その背景となっている著者自身の思いや周囲のことなどが分かりやすく解説されていて、当館スタッフの文学的教養の高さとあいまって鑑賞する者をして島尾文学の世界にグイグイと引き込み、時間を忘れさせてしまう。さすが近代文学館!
文学青年が兵役に自ら志願するあたりはやはり時代とはいえ、その高揚感が切なかった。それよりも、よく知られている特攻艇しんようでの出撃を待つ間のミホ婦人との出会いのくだりは、死を直前にした魂と魂の叫びのように思えて苦しく、出撃命令が来ないままの終戦に思わずホッとしたほどだ。最も有名な作品、死の棘はスライドショーで大筋が紹介されていたので腰掛けて鑑賞。あくまで小説に違いないのだが、家族が実名で登場するうえに、奄美時代に親戚として親しくしていたこともあって、あまりにも生々しくかつ痛ましく、息が詰まった。マヤちゃんも今では天国。
実名といえば、ミホさんのいとこの名前も実名で出てきた。だいぶお年だが今なお健在。子供の頃見た若々しい顔とも出会えた。細かい字でびっしり書きつけた日記も印象的だった。書き溜めた日記が小説のモトだったとは。こうして書くブログも何かの集大成に役立つのだろうか。
アメリカのどこの教区だったか、教区報を紙で読むかネットで読むか聞いたところ、紙と答えた人が断然多かったのだという。新聞は手に取るもの、あるいは黙っていても届くもの。ネットは自分で開けるもの。この違いは大きいのかもしれない。確かに、このブログのアクセスも200に満たない。と、すると、ネット宣教は続けるとしても、少なくともこの10年間のミサの説教を順次200部づつ刷って配布したほうがより多くの人の目に触れることになる。その分、宣教的価値は大きいということになる?そうなると紙々を消費し、巷に紙々を撒き散らすことになる。それは主義に反する。ぐやぐやいかんせん?の心境だ。
文学展から思わぬ飛躍をしてしまったが、帰り着いたら入口でシンちゃんとバッタリ。久しぶりの乾杯となった。自己弁護っぽくなるが、身内でちょっと一杯したくなるのもいい、と思った。
明けての8日は被災地仙台での日韓司教交流会へ。さらに明けての9日今日は石巻市へ現地視察。被災したところとそうでないところの状況は天と地の差。ことばを失った。YouTubeにも動画アップ。
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