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はかり綱は今日も

作成者 admin投稿日 2009年05月16日 23時41分 最終変更日時 2009年05月16日 23時41分
街中の夕日

「はかり綱はわたしのために良いところに落とされた。わたしの受けたものはすばらしい。」(詩篇16.6)

猛烈なヘルニアで入院したのは司祭叙階25周年の年。そのときの記念のカードに記したのがこの詩篇の一句。今日の夕の祈りの詩篇で読まれた。新共同訳の響きとはかなり違う。はかり綱=神の計らいと受け取ったのだが、実のところ、どういう状況を言おうとしているのかは分からない。あの当時心に残った。

不本意なことには不満が募る。しかし、それも今の自分には丁度良かったのだと言えたら不満ではなく「わたしの受けたものはすばらしい」と言える。一ヵ月半に亘る入院生活に何とか積極的な意味づけをしようともがいていたのだと思う。

あれ依頼何度もこの箇所を唱えていたのに、なぜか今日は心に留まった。少し辛い決断を迫られることに直面させられたからかもしれない。双方に辛い思いをさせまいと腐心したので心が少しセンシティブになったのかもしれない。ちなみに、前の節は「神よ、あなたはわたしの受けるゆずり、わたしの受ける杯。わたしの道を開く方。」これもまた理屈なしにストンと入ってきた。

ここまで書いてふと合点した。そうだ、ミシェル夫人の演説が未だに心に響いているからだ。「ダメ、無理、早すぎる。わたしも沢山聞かされた。でも今わたしはここに立っている!」いかに貧しく、差別されたとしても過去や生い立ちを嘆くのではなく「できる!」と心の中で明言しながら生きる日々だったという。貧困、差別というはかり綱を嘆くことなくそんな中での父親の勤勉さに学んでいった。

ともあれ、今日の一日のことも明日起こるであろう未知の事柄も丁度いい具合に落とされるはかり綱。一件落着?

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