ひっそりとシドッチ祭
1980年3月。種子島在任中にシドッチ神父の上陸記念碑が行政の手によって建立された。27年前のこと。町はそれ以来11月23日に「シドッチ祭」を主催してきた。
鹿児島からの参加者は僕が一人でかつての14,5名の巡礼団はなく寂しかった。教区の年間計画に入れなければならない。早速来年の手帳に記した。
30分の式ではあったが、行政が忘れずに記念してくれるのには頭が下がる思いだ。今年は、合併後の新町長を選出する選挙のため取り組みが遅れたので参加者も少なかったのだという。
シドッチ神父は1668年シチリア生まれ。1708年8月23日、サンタ・トリニダド号をチャーターしてマニラから日本を目指したという。1708年10月11日午後11時過ぎ上陸。屋久島を種子島と誤認していたらしい。とらえられて長崎奉行に送られ、通詞今村源右衛門から24の質問を受けたという。その一つに「両親や若くはない弟を置いて来たことは良心に反することではないのか。あなたはバテレンかイルマンか?。」「みんな喜んでいます。私は出家だ。」(正確には記憶していないが)。出家という言葉は意外だが、そう答えたという。その後、江戸に送られ、新井白石の尋問を受ける。その内容をまとめたのが有名な「西洋紀聞」。若い侍達が西洋の事情を知るに及んで洋書の禁が解かれ、流れは一気に明治維新へと向かった。
お隣の種子島が鉄砲伝来による物質文明の夜明けを告げたところだとすれば、屋久島はキリスト教という精神文化がもたらされ、日本人のこころがより高い文化に憧れて明治維新を達成した最初の一歩が記されたところと言える。
何とか鹿児島からの毎年の巡礼を復活させたい。東京目黒教会から一人の参加者があって驚いた。彼女は来年も参加したその足で長崎の列福式に向かうと確約。横浜や熊本からの移住者の信者達もいて、なかなか多彩な顔ぶれの共同体が出来ていた。
*屋久島の写真をいくつかアルバムに紹介。
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Re:ひっそりとシドッチ祭
行政が毎年祝っていることに感謝、感激です。