イエスのアイデンティティーを生きる
昨日学んだことはイエスのアイデンティティーは道・真理・命(ヨハネ14,6)。道は二つの場所をつなぐものであるので、私たちと御父とをつなぐものであり、和解の道。
命であるということは死んだ人をよみがえらせたり、命の与え主としての救い主。真理はあらゆる賢人が捜し求めた真理を越える絶対のもの。私たち司祭がなすべきことはこのイエスの独自性を伝えること。
ある安息日にナザレの会堂で読まれたイザヤの預言。「主の霊が私の上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために。・・・とらわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。」貧しい人とは神の前で「あなたが必要です」という人のこと。そうすることで御父からの赦しの道が開かれることになる。とらわれた人とは命の特徴である自由を失っている人のこと。そんな状態からの解放とはまさに命への解放。目の見えない人の癒しは真理が見えるようになること。私たちが伝えるのはこのイエス。
特に印象深かったのは「真理に対する最高の権威者は司祭です」という言葉。相談したいときは人に相談してはいけない。聖書を開き、み言葉を味わい、イエスに相談しなさい。これはボクの生き方でもあるので大いに共感した。人に相談すれば、自分の不幸に関係のない他人を巻き込むことになる。時には自分を正当化するためだったり、慰めの言葉が欲しいだけだったり、一番怖いのは、自分の不幸を人のせいにしてしまうことにもなりかねない、と危惧するからだ。
ふと、あの時(と敢て言おう)のつらかった記憶がよみがえった。力のある言葉が欲しくてひたすら引き篭もった日々。ともあれ、やっぱり司祭はイエスに直面して孤独に徹したい。一転突破全面展開。昨日からの話を聞いているとそんな言葉がよぎる。イエスのアイデンティティーを生き抜くための押さえどころを示してもらった感じだ。
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