カリスマ説教師
かじりつかんばかりにマイクを口元に引き寄せ、腕を振りながらの叫ぶような口調はまさにカリスマ説教師。
昨日の話しは日本の司祭たちへの叱咤激励。ヤーウェ(在りて在る者)を「自由自在の神」と説き、この自由自在の神への信仰を文字通り生きた方がマザーテレサ。小柄で弱弱しいが、無から有を生み出すような不思議なことが次々と起こった。
皆さんは回心しなければならない。日本のカトリックはたとえ少数でもこのヤーウェの神の民。しかも皆さんはその民の中から特別に選ばれた司祭。あのローマ帝国は滅びたが、ローマが殺したパウロは世界を変えた。もうこれ以上の言い訳は赦さないとばかりに、聖書のエピソードが次々と目の前に提示される。追い詰められたような気にさえなる。心配ばかりする人を神様は喜ばない。肯定的な考えを抱いていれば神様が道を開いてくださる。この岩の上に私の教会を建てよう。闇の力も打ち勝てない、と言われたではないか。世の終わりまで一緒にいてくださるという主の約束もある。司祭たちが目を開いて今までやったことのない挑戦を始めさえすれば教会は一杯になるでしょう。「日本は難しい」というこれまでの常識のような呪縛から解放されなさい、と言われているようだった。
日本というよりもカトリック教会の問題点も指摘された。思いもよらない十戒問答。「十戒の最初の言葉は何ですか?」司祭たちにこの質問?まるで教会学校!いぶかっていると誰かが答えた。「そうなんです。韓国でもそういいます。そこが問題なんです!」えっ?
十戒はユダヤ人たちの遺産。彼らは第一戒から始めない。「私は主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である」(出エ20,2)から始める。これはなにを意味しているか。つまり、ユダヤ人たちにとって十戒は「神の恵みに答えるもの」であり、一方カトリック信者にとっては守るべき「戒律」。神がなさったことを恵みとして覚え語り継ぐ。人間はいつまた奴隷の状態に陥らないとも限らない。仕事の奴隷を始め、さまざまなこだわりなどのしがらみから抜け出すための方策を示すのが十戒。十戒は先祖のためではなく、恵みに答えるために語り継がれていくもの。
ユダヤ人にとって聖書は教科書であり、カトリック信者にとっては参考書。なるほど!聖書に帰れ!か。
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これ、大変です。 カリスマ美容師??? みたいな 考え方、やめろよ。 ロザしてから、判断して欲しい。 過激な、聖母の騎士会・ もどきは 正式区のID もらっている、私、バチカンの、信徒使徒職として、迷惑なんです。 謙遜・プロテの兄弟と、共に
、仕事する。 私たちは、聖母・会員なんです。
おっしゃるようにカリスマ美容師とか使われていますね。気を悪くしたらお許しください。彼のメッセージはもちろんのこと確信に満ちた口調は単なる「うまい説教家」というようなものではなく、「並外れた」という程度のものでもなく、ボクにとっては「神の人」という印象です。そういう意味で正真正銘のカリスマ(神の賜物)を受けた説教師ということです。