イフガオミッション④
18日、山中での簡単な昼食の後走りに走って約2時間後の午後1:00。ディノ神父さん御所望のみかんと青いマンゴー購入。
きれいに並べられたみかん類。SATSUMAにPONKAN。おやまあ、こんな山奥の村に!店先にはアボカドやマンゴーとともにみかんの苗木も。みかんの栽培が盛んらしい。それにしてもどうして薩摩なのかは聞かなかったが、鹿児島の誰かが農業指導に来たのかもしれない。青いマンゴーは皮をむきスティック状に切り分け塩をつけながら食べる。ボクの口にはとて耐えられないがディノ神父さんは「おいしい!」
イフガオの州都ラガウエの教会訪問。司祭館入り口で上半身裸で新聞を読んでいた司祭が、「日本の司教さん」というサンミ神父さんの紹介にあわててTシャツに袖を通して恐縮した。聖堂は元カテドラルだったというだけあって千人は軽く収容できそうな大きさ。高校生たちが翌19日の聖ヨセフのお祝いに備えての聖歌の練習を終わったばかりのようだった。「大きさもさることながら、何よりも正面左右の鮮やかな色使いのステンドグラスが目を引いた。左は羊を抱え、伝統的なイフガオ装束を身にまとった良き牧者。右はやはり同じ装束のマリア様。あまりの美しさに二人で熱心に写真に収めた。
2:30、75周年を祝うサンミ神父さんの宣教拠点キアンガン町ピンドンガン村到着。1500m級の山々をいくつも超えた5時間半に及ぶ過酷な?ドライブが無事終了した。校門には75周年の横断幕が掲げられ、通りには小さな出店も現れて早くもお祭りムード。教会の庭がそのまま校庭。バスケットやバレーボールに興じる生徒やベンチでおしゃべりする生徒たちで賑わっていた。娯楽のない山の生徒たちにとって放課後もこうして時間を過ごすらしかった。
二本の尖塔が聳え、ニコライ堂を思わせるよな丸い屋根のかわいらしい丸い形の聖堂。左が司祭館で右側の赤茶けた屋根は聖ヨセフ高等学校。近隣から600名の生徒が通う。鹿児島にも支部があるイタリア系のカノッサ会のシスター4人が神父さんを支えている。ナンシー院長さんはマニラ出身。
荷物をときシャワーを済ました約1時間後、相変わらず混雑する校庭に出て教会の全景を一枚。帰ってきたところで院長さんに声をかけられた。「この付近を回ってみましたか?」「いいえまだです。」「ちょうど帰るところなのでご案内しましょう。」75年の歴史を紹介する展示室を見せててもらった後、細く急な階段を上がって村の中央へ。多くの店や市場があって結構賑わっていた。
村にすっかり溶け込んだ様子のシスターは何人もの人に声をかけ、そのたびに「日本の司教様」と紹介しているうちに村はずれの小学校に着いた。その一角に山下奉文将軍が全面降伏した場所があるというのだ。なるほど将軍の執務室は完全な形で保存され、兵舎は廃屋となっているがほぼそのままの形を残していた。将軍はその後バギオのジョン・ヘイ指令本部に移されマニラのモンテンルパで処刑された。いつまでもついて回る戦禍の悲話。悲話といえば翌日の夜耳を覆いたくなるような悲劇の舞台が教会の庭だったという話を聞くことになるとは!
村を一周して修道院前でシスターと別れた。夜はシスター四人を交えた楽しい夕食会で最初の日が終わった。
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