パウロからのチャレンジ
今日印象に残ったこと。①私たちをはるかに超えた方を自分なりのイメージの中に閉じ込めてはいけない。アロンが金の子牛をを作った(出エジプト32章)のに通じる。
つまり、これは偶像崇拝というよりも、見えない方、私たちを越えた方をコントロールしようとしている。「私が唯一の神」という第一戒で禁じられているのはこれ。そういえば、「神様がいるならこんなひどいことが起こるわけがない」。日本社会においても世界的に見ても絶えることのない犯罪や戦争に対する苛立ちのような叫びのような神不信。
②もう一点は使徒とは?パウロにおいて使徒と福音宣教者は違う。使徒は派遣された者。各国の大使のように全権を負ったもの。大使の発言は国の発言と同じ。この一体性は使徒職を考えるときに重要。つまり、私たちが使徒職を果たすというとき、常にキリストと一体化していくことなしにありえない。パウロが「私に習いなさい」ということは「キリストに習いなさい」というのと同じ。私たちの場合もそれほどまでにキリストとの深い一致に至ろうとしているかが問われている。このとを常に意識しなければならない。
③弱さは障害か?自分の弱さ、無力さ、高齢化などは教会成長にとって不利だと思いたがる。コリント後12、7-9。とげを取り去ってくださいと願うパウロへの答えは「私の恵みはあなたに十分。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ。」この弱さの状態でもそれを使って福音が述べ伝えられている。この思いこそ持つべき。この状況の中で神が働き福音を輝かせてくださる。この視点が大切では?これこそボクには福音だった。
④福音宣教の到達点はキリストの体の完成。人は人、自分は自分。一人一人がキリストと深く結ばれていけばいいというのではない。キリストと結ばれることが即共同体を完成していくことになる。私たちの信仰にこの教会的センスが必要。
⑤その他、「キリストを感じ取る敏感さ:キリストと無関係だろうと思うことをもキリストに結び付けていく視点を大事に」など印象に残る言葉が多かった。今後暖めていきたい。
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