コミュニケーションという宣教
調べものをしていたら興味深い記事に出会った。コミュニケーションのための司牧指針。1997年6月20日、アメリカ司教団から出されたもの。
97年といえば、ふるさと奄美に赴任した年というのもさることながら、「遠くに離れた弟とはメールで連絡を取り合っている」という70歳のシスターと出会ったのもこの年だった。さても、アメリカという国はこんな高齢のシスターでもメールをやるのか!よしボクもやるぞ!ホームページ作成に逡巡していたボクの背中を押したのは彼女だった。そんな年に、上記の指針が出されたということで思わず目を通すことに。
メールやデジタルメディアにアメリカ社会が大きく支配されている現実を見据えながら、いち早く「地の果てまで福音をのべ伝えよというキリストの命令を心に留めて」いるというのはさすがだ。また、信仰を伝える、というときにコミュニケーションをとる、という言葉が使われていることにも驚いた。「教会のあらゆる人々は外に向かって何かを伝えて(コミュニケート)いくべきものなのです」というときにも、福音宣教という言葉が使われていない。なるほど、信者が誰かとコミュニケーションを持つということは、「教会の使命を支援する目的を持つ」のだという理解に立てば、あえて福音宣教という難しそうな言葉を使わなくてもいい。端的にいえば、人とのお付き合いはすべて宣教的価値がる、ということ。誰かが、乱用しそうな危うさがないでもないが・・・。
ともあれ、「教区が新たにウェブサイトを開くことを促進すること」、「司教協議会の情報を伝達するためにこうしたウェブサイトを利用すること」というお勧めも興味深かったが、14年の差を生めることができない我らが現実にシュン。
夕方川辺りを1時間、速歩散歩。満潮らしく河口から3キロほどの川面でボラが飛んだ。日が落ちると橋の照明が点灯した。川面と橋の下を照らすというのも面白い発想だ。
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