ショーケード
聖書の庭はもう春。アーモンド開花!今朝気がついた。パレスチナでは春一番に花を咲かせるのがアーモンドだという。
エレミヤが神様から呼ばれて預言者の道を歩み始めるときの話が面白い。いや、面白いというよりも、神様の強引なやり方が手が込んでいる。「青二才の私がとんでもない!」「そんなことを言うもんじゃない」と言われたかと思うと、エレミヤの口に手を当てていわれた。「さあ、これでよい。行くがよい。」みたいなやりとりのあとで、
「エレミヤよ何が見えるか」と聞かれたので「シャーケード(アーモンド)の枝が見えます。」すると神さまは「…私は私の言葉を実現しようとショーケード(見張っている)」と発音の似た言葉を使って、オジサンギャグみたいなことを言われた。つまり、「お前は今日から預言者となって私の代弁者になるのだ」という促し。こうして、エレミヤは神に背いたエルサレムの人々に次々と神のことばを語ることになる(エレミヤ1.11-2.1以降)。
アーモンドについて、もう一つ楽しい話を紹介したい。出エジプトを果たしたイスラエルの民を率いたのはモーセとアロン。しかし、いつまで続くのか見当もつかない長く辛い砂漠の旅に人々は平常心を失い、何かともめごとが絶えることはなかった。こうした、民の気持ちを静めるためには、二人が、神からの信任を受けているという明確なしるしが必要だった。
神様がとられた手はまたも奇抜なものだった。先ず、12部族から権威の象徴である杖を取り、そこに名を書かせた。レビ部族のものには、アロンの名を刻ませた。そして言われた。「私が選ぶ者の杖は芽を出す。」果たして、翌日、十戒を収めた契約のあかしの幕屋の前に置かれた杖に一同は度肝を抜かれた。アロンの杖には芽が出ていただけでなく、「つぼみを出し、花を咲かせ、アーモンドの実を結んでいた!」(民数記17.16-24)。一件落着。水戸黄門の聖書版?ともあれ、神の「見張り」は実を結ぶ。
わが庭のアーモンドの開花は昨年より一カ月ほど早い。ともあれ、明日の朝、実を結んでいると嬉しいな。
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