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チャレンジ諸宗教対話

作成者 admin投稿日 2011年04月27日 18時38分 最終変更日時 2011年04月27日 18時38分
麓の村

午前中第一の講話は諸宗教対話の神学。大切にすべきこととして①はじめに対話ありき。

つまり、理解してから対話するのではなく、理解しあうために対話する。なるほど、それはそうだ。②各宗教が持つ宗教学は違う。だから、諸宗教対話とは比較宗教学をするのとは違う。あくまでそれぞれの宗教学にのっとったものである。それもそうだ。③共通点を見つけて安心することではない。違いがあるから対話する意味がある。仲良くすればいいというものではない。

この③はかなり刺激的。質問がムラムラ。いや、ムクムク。私たち日本人はどちらかと言えば、質問は苦手。少々分からないことがあっても「ま、いいか」と受け流すことは多い。質問=突っ込み、を恐れるからだ。漫才のボケとツッコミはないと面白くないが、突っ込むのは議論したり反論したりするときの常套手段。うるさがられることが多く、ときとして厄介者とみなされがち。で、相互の違い、から入れば議論にならないか。

実際、昨日のご住職は「そうじゃないんです!」と声が大きくなった。質問を反論と感じたからではないのか。「悟ったときの法悦」という体験談に対して、こちらとしては「神との出会いの体験」を分かち合うべきではなかったか。共感できるところを確かめることなくいきなり質問では果たして対話になるのか不安。分からなくなってきた。諸宗教対話の初歩に戻った感じだ。いずれにしても道はるか、だ。

午後は、立正佼成会熊本教会訪問。2年前についで二回目ということもあるが、鹿児島でのお付き合いのせいで「かつて知ったるナント」の気楽さだ。6名のご婦人の体験談。ニコニコと目を細めながら見守る女性教会長さんはまるで慈母。皆さんの幸せな毎日が生き生きと伝わった。どんなことも「見方考え方一つ」は分かりやすい。基本的にはすべてを受容し、争うことをしない文字通りの平和主義者集団。いつもさわやかさだけが残る。私たちが大いに見習いたいところだ。

雨の中4:30帰着。

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