諸宗教対話実践編
大本教。どんな宗教かはともかくとして聞いたことがあると思うが、正確には大本。教はつけない。「すべての宗教をなくすことですべてが大本につながり平和になる」と説くからだ。
大本とは大宇宙を統べ治める大神(おおかみ)のことで、宇宙の創造神。万有はこの神のご意志(言霊ことだま)によって生成育成される。つまり宇宙にはこの神のたえなる言霊が鳴り渡っているが、人間の悪い言霊がこれに悪い影響を与えているので、祝詞(のりと)をあげて正しい言霊を奏上すれば宇宙に鳴り渡る言霊に影響し、罪穢れがはらわれ、宇宙の音律が正しく調節されるのだという。朝と夕べに一日二度唱える一番大事な祝詞が天津祝詞。
京都に建てられた長生餡(ちょうせいかん)は建造物としても優れたもので一見の価値がるという。諸宗教対話にも力を入れていて立派な画報もいただいた。各自祝詞のプレゼントをいただいて午前中の訪問を終わった。
午後の訪問は天台宗の清水寺。福岡県南部の町瀬高本吉。1200年前、中国から帰る途中立ち寄った最澄の心をとりこにした深山幽谷。ねむの木の巨木に仏像を刻み創建。室町時代、雪舟が作ったといわれる本坊庭園も有名。秋の紅葉は九州はもちろん各地からの観光客でにぎわう。訪問の今日は、新緑が美しい絶好の行楽日和。折りしも、併設のボタン園もオープンとあって思いがけないボタンの花の華麗なショーを楽しむこともできた。
ところで、奥さんが熱心なカトリック信者だというご住職との1時間に及ぶ対談は興味深いものだった。深夜に30キロを歩くという百日行を成し遂げた方で「はじめ、足ははれて痛むし、自然は自分に対立するものだった。それを乗り越えると自然に抱かれている法悦」の体験だったという。「悟ればすべては一つになる。」永遠絶対なる命との出会い。仏陀はこの永遠なる命の化身。「植物の命、動物の命、虫の命、人間の命すべて同じ。」「あれは優れている、これは劣っている、これはいい、あれはだめ」は人間の我のなせること。愛も赦しも一つのこと、とも。不二の思想だ。
「実際には違いがあるのはどうしてですか?」「実際に戦争があり人は傷つけ合っているが?」「悟っていないからです。悟れば戦争なんか絶対に起こらない!」問答は延々と続きそうだったが時間切れ。もっと聞きたかったのだが、諸宗教対話の微妙なところだ。「また来ますので・・・。」にこやかな指導司祭の挨拶は長いお付き合いのしるしのようだった。
夕方、立正佼成会鹿児島教会の教会長さん合流。早速夕の祈りにも参加。1拍だけだがなんだか兄弟を迎えたような親しみを覚えた。
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