ニコッと痛みと・・・
教会の香部屋に忍び込み水とぶどう酒入れの容器を物色。大小いくつものガラス製のセットが続々。一番小さな、まさに一人用と思しきセットを失敬。ついでにミサ典書も。準備完了。
まさにワクワクの初ミサだ。下の小聖堂とはこうも雰囲気が違うとは!窓の向こうは病院のPET。その向こうは国道。姿は見えなくても健康に不安を抱えた人々が目の前にいる。忙(せわ)しなく行きかう車も目に入ってくる。四方をセメントで囲まれた密室より人々の中で捧げている実感は数倍だ。それに、誰かがひょっこり入ってきてびっくりする心配も無用だ。
もっとも、ミサは個人の祈りではないので会衆のいないミサはすべきではないという学者もいるそうだが・・・。ま、学者の意見は尊重するとして内密に、内密に・・・。あ、これは公開中なのだった!ともあれ、バレバレでもニコッ。
愛用のIpodには自慢じゃないが1027もの音楽や講演や講義録が収められている。手持ちのCDを全て取り込んだのだ。不要になったCDは全てバザーで配布。何年も持ち歩いたCDが全て書棚から消えてスッキリした。このところのウォーキングではこのIpodが手放せない。
今日もあの高名なプロテスタントの神学者北森博士の出エジプト講釈。信者でない人々が対象なだけに解説は懇切丁寧。聖書の思想は、排他的一元論でもなく善悪対立の二元論でもない。「嚢中の錐」(のうちゅうのきり)つまり、袋の中に鋭い錐を入れると袋をダメにしてしまう。取り出して放り投げるのが落ち。これが二元論。
嚢中の錐を放り出さない神のありようが紹介された。創世記のヨセフ物語。「・・・あなた方は私に悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え・・・」(創50.20)られた。これが聖書の心。神の姿。つまり、錐(悪)を丸いボウル(善)に変えてしまわれたという意味で二元論を乗り越えた。ここから神の痛みという彼の有名な神学が展開していくことになる。講義が佳境に入った頃、突然ハングル講座がこれに代わった。こんなことが時々起こるのは取り込み中のエラー?いずれにしろシュン。ま、次を楽しみにしよう。
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AB型的発想?
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