ネット宣教公開
15,6名だったか元気のいい晩課(夕の祈り)に加わった。かつてフランシスコ会に憧れた者として修道院の雰囲気に触れるのは嬉しい。
「みよ兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。」詩篇133の言葉が思われてホッとするのだ。神学校では共同生活には違いなかったが、「教区司祭は一人で生きる」ことが前提になっていたように思う。現在6人ですんでいるとはいえ、今の生活に影響を与えているようには思えない。実際には一人で祈り、一人で食ることは苦にならない。むしろ気楽だ。
しかし、そういう一人優先の生活を離れて共同生活の場に入ると忘れかけていた「修道生活への憧れ」がふっと蘇るのだ。黙想会での共同の祈りが一時的な措置というか、いずれ一人に戻る事が前提になったプログラムの一つに過ぎないとすれば、修道院のそれは共同生活を営み続けてきた歴史の厚みというか、風格のようなものがある。祈りの後もしばらくその余韻に浸っていたいような気分になった。
食卓も配膳済みの我が家と違い、セルフサービス。しゃれた言い方をすればビュッフェ形式。晩課の後だけにほぼ全員が修道服のままなのでとりあえず「神父さま」と声をかけていたら、22名中司祭は4名だけだと教えてもらった。院長さんも修道士と聞いて驚いた。同郷の一人を除いて初対面の人ばかりだったが、気楽な雰囲気にすっかりくつろいでしまった。
明けての今日の話のテーマは「インターネットから見える司牧宣教」。参加者の多さと期待の大きさ?に時間ばかりが気になってはしょったり早口になったりと平常心で話すことができなかった。持参した資料を紹介することも忘れ、気がついてみたら15分も早いネタ切れにあせってしまった。補足するゆとりもなく笑ってごまかした。
質疑応答という怖い時間帯がきわめてフレンドリーだったのはボクの肩書きに気を使ったせい?有益なアドバイスが多くありがたかった。信仰体験は発信すればいいのではなく「読ませる文章」でなければならないというご指摘はさすが「知り尽くした人」と見受けた。今日のことを明日のネット宣教委員会に報告して今後に生かしたい。個人の趣味から教区の活動に昇格したような感じもするネット宣教だが、閉会後の皆さんの雰囲気から支持されている感じを受けたのは我田引水?
10:00過ぎ帰館。
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