ノベナの条件?
ノベナの祈りに魅せられて色々調べてみると、特別に固定した祈り方があるわけではないらしいと分かった。3.11の直後、ある司祭の呼びかけでなされたノベナの祈りは彼の自作で感動的なものだった。ミサで祈ることはしても、九日間の祈りをするなど思いつきもしなかったことを恥じた。
九日間祈ったから必ず聞き入れてもらえるかということよりも、熱心に祈り続けることの大切さをイエス様も説いておられるので、主からのすすめとして祈り続けてみるということが大切ではないかと指摘する記事にも出会った。人を人とも思わない裁判官があんまりうるさく頼むやもめに閉口して裁判を引き受けたというあのたとえ話(ルカ18,1以下)のことだ。だから、聞き入れてもらえることを期待しながら必死に祈ることは大事だと思う。
小学生のころ、生死をさまよう妹のために必死にロザリオを繰ったことが蘇る。しかし、あの時は、聞き入れてもらえる、と期待したというより、とにかく元気にしてください、という叫びに近かったと思う。
いずれにしても「私たちは、神様にもっともっとたくさんの新しい家族を捧げたい!どうかお願いします!」韓国の人々の祈りはそんなものに違いない。高齢化を嘆き、園児減少を嘆くのと同じほどに「新しい家族を!新しい園児を!」と必死に九日間祈ることを今の今まで思いつかなかったとは!
ともあれ、わずかこの数日間で気がついたことがもう一つある。ヨセフ様が自分の中で顔を出すことが皆無に近かったということだ。ワルトルタの著作でヨセフ様がかいがいしく聖家族のために働く姿にすがすがしい好青年ヨセフ様を思い描くことはしたのだが・・・。最初に目にしたノベナの祈りにしたがってヨセフ様の4つの徳を黙想してみてつくづくそう思った。あれほどまじめに忠実に尽くしたのに申し訳なかった、と。自前の祈りが作れるといいのだが。
招待されたホテルのチェックアウトがナント1:00。迎えを待つまでの間にこれだけの整理ができた。夕方から、阿蘇でのME。6組の夫婦に1司祭を迎えての48時間。必死の祈りをお願いしたい。
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