フレッシュにスタート
昨日から三つもの会議はさすがに「お疲れ様」。45名もの高出席率。新任司祭の紹介に始まって休憩なしの1時間40分。ほぼ全員が落ち着くべきところに落ち着きフレッシュ態勢での新年度が始まった。
昨年の教区評議会で分かち合われたものが発言集となって配布された。しかし、その後各小教区で活用されてはいないようだった。せっかく分かち合われた信者たちの貴重な体験談なので出来るだけ多くの人の目にふれて欲しいのだが・・・。読み会うだけでも豊かになるに違いないのにもったいない。もったいないと言えば、「パウロ年祈りで巡礼」も不調。もっとも、巡礼の実りを挙げた小教区もあって慰められたのだが・・・。喜界島の93歳の方は十数枚も提出されたそうでこういう人にこそあのきれいな教皇祝福をあげたい。
会議づけの後は墓参巡礼に限る。今日は墓地整備の資材をリュックに詰めて一気にカトリック墓地に上がった。市役所が動き出したようできれいに草がはらわれて「いつでもどうぞ」と言わんばかりの雰囲気が嬉しかった。我が先祖の小さな墓の周りに張ったセメントは一センチほどの厚さで凹凸が出来てひび割れも目立つ。そこをきれいにしたいのだ。今日で三回目だがまだ四分の一ほどしか出来上がっていない。ま、急ぐことはない。
今日は、福昌寺跡近くのキリシタン墓地まで足を伸ばした。今日のコースは車道を通ったので一人向き。複数で行くのならやはり城山越えがいい。墓地から約40分。138段の階段はかなり急。何十年ぶりだろう。苔むしたさまはこれまた打ち捨てられているかのよう。しかし、きれいな案内板が設置されていた。1870年(明治3年)375人が長崎から廃寺となった福昌寺に収容され、53名がなくなったという。1905年(明治38年)ラゲ訳聖書のあのラゲ神父さんが散在していた墓をここに集めた。
墓石といっても自然石に十字架を彫っただけの粗末なものばかり。故郷を追われた人たちにお墓を作ってあげる人はいなかったということか。ラゲ神父さんの翻訳を手伝った小野藤太教授たちもこの作業にも駆り出されたのだろうか。ひっそりと花束をが向けられてあった。訪ねる人がいるらしいのでホッとした。
帰りしな玉竜高校の裏門から出てきた二人の女生徒が丁寧に「こんにちわ」今どき珍しい?帰りは急ぎ足で30分。
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いつも、励まされたり、楽しませていただいたりお話を感謝いたします。
旅の写真や花の写真なども感動しています。
「パウロ年祈りで巡礼」喜界島の93歳の方には負けますが、私は8枚目に入ったところです。ウォーキングの時が、ロザリオの時間です。赤鉛筆で、パウロが廻った町にしるしをつける時、とてもうれしい。私も、教皇様の祝福いただきたいなあ~
6月のパウロ年閉祭ミサで、奉納と聞いていますので、それまで、がんばりたいと思います。