ミイラにならないために
司教会議も3日目を終わった。午後、信仰年を祝うにあたっての事前勉強会。現代の人々に福音をどう伝えるか。
講師の一人が急病で欠席。楽しみにしていたが残念。しかし、もう一人の講師の話はそれなりに興味深かった。いまどきの学生たちに福音を説く実際が紹介された。
ぶどう園の労働者のたとえ話。朝9時来た人も、12時ごろと3時ごろに来た人も、そして5時ごろに来た人も同じように1デナリオンずつ受取ったという話だ。1デナリオンは家族が2,3日は食べていけるだけの金額。学生たちはいっせいに「不公平!」声がかかるのを一日中待ってやっと仕事にありつくことができて、家族が何とか食べていけるめどが立った。このように、神様は必要なものを必要なだけ下さる平等な方。神の国の本質。
平等の概念を壊された学生は「友達は就職が決まったというのに、自分はまだ決まらない。だから、この話は人事とは思えない。」他にもたとえ話が二つ紹介されたが、若者たちに福音を説く喜びが伝わって頼もしかった。借り物のことばではなく、福音が伝わるようなことばや表現、シンボルを生み出さないと信仰が「大英博物館のミイラになってしまう」という指摘は、数年前のアジア宣教大会のメッセージを思い起こさせた。
「それぞれの文化の中でイエスの物語を語る。」アジアの中の日本、日本の中の鹿児島、鹿児島の中の奄美、奄美の中の我が家の持つそれぞれの文化を背景として語られるイエスの物語。ここまで書いてハッと気がついた。「自分の信仰を自分のことばで語る」というボクの命題につながったからだ。あの講師の神父さんも、まぎれもなくいまどきの日本人の臭いのする文化の中で自分のことばでイエスの物語を語っていた!
「新聞は五番目の福音書とも言われる」のだという。唐突な感じもしたが、なるほど。神の国の福音をミイラにしないためにも五番目の福音書は必要に違いない。
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