ユタカ君のなれかし
冬が戻ったような花冷えの中、四旬節で最も遅い鴨池教会の黙想会へ。講話二つ。①混沌から調和へ。創世記1章1-2「初めに神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。」
混沌はしばしば私たちの現実。見通しの立たない不安、焦り、苛立ちetc. ストレスの多い人間関係。大なり小なり誰もが体験する様々な混沌。しかし、そんな混沌とした深淵を覆う水の上を神の霊が動いていた。神の霊に覆われた混沌。そう聞いただけで見通しが立ちそう。しかも、「光あれ!」という神の一言に始まって混沌が形を成していく創造のお話は、私の新しい創造の始まり。
そうなのだ。光が差せば何とかなるという希望が湧く。神の霊が水の上を動いていた。だから、混沌は怖くない。混沌は私の新しい始まりだから。すぐに反論が返ってきそう。「ま、現実は、口で言うほど生易しくない」とならないためにも、②神に寄り添う。「添う」というのは「潤される」という意味があるという。だから、寄り添ってくださる神さまに寄り添い、私に対する神様の思いを味わうと神にうるおされることになる。
その第一人者が、マリア様。神様の思いに寄り添うときのキーワードがなれかし。これはこのイエス様に受け継がれ、「父よ、私の霊を御手にゆだねます」という十字架上のなれかしとなって完結した。ご聖体拝領のときのアーメンは皆さんのなれかし。「今日は特別に気合を入れてアーメンを言いましょう。」体育会的な結びになった。実際、数名の方はアーメン!明らかに声を上げていた。打てば響くような反応が嬉しい。
嬉しいと言えば、ミサの侍者は二人の小学生。一人は、前回の訪問の時抵抗した子。「君も侍者…」「イヤ!」言い終わらないうちに拒んでいた子だった。それが、ある時、自分から名乗り出たという。人知れず混沌と直面しながら選んだユタカ君のなれかし。大きな一歩。
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