ベンゲット日記(3)
5月15日、夕方4時少し前、ついに懐かしのパリーナ教会到着。バギオよりも標高が高く長袖に薄手のカーディガン持参は正解だった。
10数名の男性たちがマリア様のほこらの移転新築中。道路新設に伴い、移転を余儀なくされたという。見覚えのある顔も数名あり、話はすぐに29年前にタイムスリップ。「あの時キブンガンまて迎えに行ったのは私です。彼と、もう一人はここにはいない」。確かに三人で迎えに来てくれたことを覚えている。40歳の時だ。杖をどうぞと言われて、まだ若いからと辞退したが、歩き出してその必要さがすぐに分かった。つかまりどころのない険しい禿山の下りには杖が滑り止めに役立った。棚田のあぜ道でバランスを崩し、小川に転落したが幸い深い茂みに守られたことなど、思い出話に花が咲いた。
そうこうしているうちに、夕食の準備にかりだされたご婦人たちが司祭館から出てきた。真っ先に声をかけてきた小柄な婦人にも見覚えがある。身のこなしと物のいい方、てきぱきと闊達な人で印象に残っていた。旧司祭館に案内してもらった。セメントなどの資材置き場になっていたが、一泊した部屋にはベッドがまだ残されてあった。谷川の水を樋で集めた小さなバケツ一杯で、シャンプーを済まし、体を拭いてさっぱりできたことを思い出した。現在の司祭館は数倍の大きさで、二階には四つも部屋があって、階下にはシャワールームもある。といっても、大きなタンクにためた水を使うという、ピーター家と同じ。この方式は、タイのワット神父さんの実家でも同じだ。暑い国ではこの方が合理的なのかもしれない。
聖堂も手狭になったので、両脇に拡張され、むき出しの天井には板が張られていた。「あなたの天井ですよ」と指さされて戸惑ったが、改修工事の際に寄付の依頼をしたことを口々にいうので、すっかり忘れてしまっていたことが甦った。吉野教会にいたころのことだ。信者たちも募金を呼び掛けて送った記憶がある。ミサをしたかったのだが、「今日は疲れているので、休息の日にします。」サンミ神父さんがこともなげに言うので、あっさり従った。あの悪路を5時間も運転したのだから疲労も相当なものに違いない。神様も大目に見てくださるはずだ。
マリア様のほこらの完成を祝って全員での夕食。「何か分かりますか」とコップに注がれたのは地酒のタポイ。29年前にもごちそうになった。どの家庭でもお茶代わりに出される。誰の家だったか、ピッチャーからはタポイと一緒に大きなハエが。「ハエだー!」と思わず声を上げたら、主人が少しもあわてずハエをつまみ出した。「エーッ!」と声にこそしなかったが、「ス、すみません新しいのをください」。考えてみると、ピッチャーの中身全体が汚染されていたわけで、目をつぶって一気飲みしたことが蘇った。
今回のものは、29年の時を経て幾分清潔そうだった。甘酸っぱい。聞いてみるとやはり砂糖を加えたという。純粋なものがいいと言ったら、別のものを持ってきてくれた。さっぱりしていい。ともあれ、作り方は簡単で、炊いたご飯にイースト菌をまぶしてカメに入れておくだけ。一ヶ月もすると飲めるのだという。帰ったら試してみたいと思ったがまだ取り掛かれないでいる。さすがに5時間の運転は骨身にこたえたらしく、気が付くと、サンミ神父さんが、肘をついた両手に顔を伏せていた。みんながそれに気付き、そそくさと帰ってくれたので、8:00就寝が実現。
29年前と違うのは部屋に上がると40Wながら灯りがあること。家々にも明かりが灯っていて、漆黒の闇はもはやなかった。あの当時、みんなと別れて、部屋のローソクをフッと消して驚いた。自分の指先すら判別できない真っ暗闇。文字通りの“一寸先は闇”。しばらくして目が慣れたので外に出てみてまた驚いた。人工の物音が全くなく静寂そのもの。「シーン!」というオトを聞いたとさえ思ったほどだ。そして、上を見上げると、こんなにも大きな星たちで空が埋め尽くされていたとは!月明かりならぬ星明り。そんな回想をめぐらしながら薄手の毛布にくるまった。
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