三日分です
9日。夕方5:00少し前にブラザージョバンニがバチカンの聖職者用ホテル、サンタマルタまで送ってくれた。ものの10分。
二階に上がると、今さっき着いたばかりだという新潟の司教さんが迎えてくれた。ガランとした広い部屋。マリアの姉妹であの働き者のマルタの名を冠するホテルにしては、館内案内のプリントも何もない。テーブルの上に一枚の「NOTA BENE」(ご注意)があるが、イタリア語だけなのでサッパリだ。テレビもない。水のボトルが一本コップと共に寂しく、収納棚の上に置かれているだけ。夕食は何時なのか、どこで取るのか。もっとも、受付で、中野神父さんに何やらしゃべっていたからそんなことの説明だったのかもしれない。インターネットもホテルのものだけしか使えない。部屋の照明も弱く、ヤレヤレ。
司教さんから手渡された、「バチカンからのメッセージ」に一瞬緊張したが、「10日月曜日12:00」謁見の時間指定だった!次の人が12:15とあるので15分弱。初日で二番目という早い順番はラッキー?重荷は早く下ろしたに越したことはない。それにしても、「いつとも知れない呼び出しを、部屋に篭って、今か今かと待たなければならない」と聞かされていたのだが、バチカンも良識の府となったらしい。当然だ。ともかくホッ。
で、10日月曜日の今日。10:30。九州の司教四人と同行司祭四人が宮殿へ行進?もっとも、広島の司教さんと大分が交代。
入り口に立つスイス兵。進むにつれて、槍持ちに剣持ち、果ては整列の儀杖兵が次々と最敬礼。さすがバチカン宮殿。それにしても、イエス様のロバの子でのエルサレム入城とはまさに隔世の感。主の感想を是非聞きたいと思う。
先ずは、コートその他身の周りのものを預ける部屋。そして、いくつもの部屋を過ぎて第一待合室へ。百人ぐらい入るかもしれない。小一時間後、先ほどの三分の一ほどの第二待合室へ。秘書の司教さんはすらりとしたクロアチア出身。謁見の間に入ったときの手順が説明された。
12:40分。定刻より5分ほど早く長崎大司教さんが呼ばれた。第三待合室で待つこと約20分。その間、秘書の司教さんはヒマ。浜尾枢機卿さんと同じ宿舎で毎朝食事を共にしたこと。日本語の挨拶など教えてもらったこと。日本の相撲が好きなこと。勝った人が、十字を切って賞金を受け取るのは祝福と同じ仕草であること。子供の頃カナダに移住したこと。などなど。時間つぶしに親しく世間話。12:05。ベルが鳴った。小柄なパパ様が親しげに歓迎の挨拶。先ずは写真撮影。立つ位置も決まっている。最初にパパ様を右にツーショット。次いで、パパ様を挟んで中野神父さんが左でボクが右。手はず通りの入門式?の後、それぞれの椅子へ。まず、パパ様がテーブルの地図を見ながら、関東当たりを指されて「あなたの教区はここ?」「イエイエ、エート・・・ア、ここです。」「あーここ!」驚かれたように鹿児島を指された。先ずは、「カクカクシカジカ・・・」ザビエル様の像とレオ七右衛門の像をお見せすると、「アー!これはいい!」満面の笑顔で愛でられた。「信者は何人?」「ハイ、一万人弱。しかし、フィリピン人の奥さんたちも入れると一万人以上です。」「彼らと日本人の関係は?」「ハイ、今、フィリピン人司祭が任命されてうまくいくように橋渡しをしてくれています。」「同じバイエルン出身の司祭もいて、あなたの学生だった人もいます。昨年の夏あなたが訪問なさる日僕もあそこにいました。」質問外の話題にも快く反応されたので、調子に乗って、シドッチ神父のこと、種子島のこと、宣教家族のことなど話したいと思っていたことを一気に話した。宣教家族のことは、すぐに反応されて「どうですか。うまくいっていますか?」「子ども達は幼稚園と小学校で、みんなから歓迎されています。」後は、若者のカテケジス(要理教育)のこと。「WYDの影響大で、若者が教会に帰ってきつつある」とお答えした。仏教徒との対話の件では、中野神父さんが本部二回で毎月開かれる「月光の会」をイタリア語で紹介。
こうして、終始和やかな雰囲気の中で15分はあっと言う間だった。そうは言うもののかなり緊張していたのは間違いない。「あー言うべきだった、こう言えばよかった」との思いがぬぐえない。それに、「鹿児島教区のために祈ってください」も忘れた。いずれにしろ、終始にこやかで、前評判どおり暖かくソフトで誠実な人柄に触れて、「バチカンへの巡礼者が増えた」というのも諾(うべ)なるかな、だ。別れ際にもう一度指輪に接吻。
ともあれ、大使の訪問といい、今年の大仕事が終わった。控室に戻ると急にお腹が空いた。中野神父さんが笑いながら労をねぎらうかのように言った。「司教さんの口頭試問は合格!」
夕食はグレゴリオ神父さんたちの招待。先ずは、ピザとビールでアペルティーフ。一時間後、場所を変えて本番。たまたま入った店は由緒正しき?自慢の店。現教皇ベネディクト16世がラッチンガー枢機卿時代、しばしば訪れた店だという。しかも、座った場所も彼のお気に入りのテーブル。なんでも喜んで食べられたのだそうだ。野菜たっぷりのスープは良かった。いわしの揚げたもの・白身の魚の照り焼き風・小さいタコの揚げ物。結構いい味だった。パパ様もこの味に魅せられたのかもしれない。みんな平らげた。
11日火曜日。午前7:30。ペトロのお墓の前でミサ。後方には、ローマ在住かと思われる日本人やシスター方も。祭壇下には小さなペトロの骨が収められていると言うが、暗くて確認できなかった。鹿児島教区のため、シスターステファンの大きな計画の為、ペトロの執り成しを願った。
お昼は、ローマ国際神学校に招待。インターネットが使えるに違いないので急いで三日分を一気に編集。読むほうは大変かも。
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