人々に近い教皇
教皇のことばには不思議な魅力がある。そのままを紹介したい。引用はすべて「教皇フランシスコ講話集1」より。「しかし、何よりもわたしたちは知っています。イエスがわたしたちとともに歩み、
わたしたちをご自分の肩に担ってくださることを。これこそが、わたしたちが現代に伝えるべき、わたしたちの喜びであり、希望です。…。第二に申し上げたいことはこれです。…イエスの王座は十字架の木です。…子どものとき母がこう言いました。『死体を包む布にポケットはない』。…イエスは十字架上ですべての悪の重みを感じながら、神の愛の力をもってこれに打ち勝ちます。これが、イエスが、十字架の王座の上でわたしたち皆に与えてくださる恵みです。…キリストと共にいるなら、心は決して年を取りません」(以上、受難の主日ミサ説教37‐42頁)。
さすがに、引用が多くなると気が引けるのでこれぐらいにしたい。イエスがわたしたちをご自分の肩に担がれる、という言い方はしたことがあるが、それこそが、「現代に伝えるべき、わたしたちの喜びであり、希望」とは考えたことがない。せいぜい、「一緒に歩んでくださいます」どまり。また、十字架がイエスの王座だったとは!受難の主日、つまり枝の主日は世界青年の日となっているので、最後の引用は、若者へのメッセージ。人々に近い教皇、と言われる理由が良く分かるような気がする。深い祈りの人だとつくづく思う。
最後に、最初の一般謁見で、聖週間について話されたことからもう一つだけ。「聖週間に入ることは、ますます神の論理に入ることです。十字架の論理に歩み入ることです。それは、第一義的に苦しみに基づく論理なのではなく、むしろ、愛といのちをもたらす自己贈与の論理です。それは福音の論理に歩み入ることです」(50頁)。イエズス会員らしい、と感じたのは「神の論理」にはじまる…の論理。これもボクにはなじみのない表現。「神様のなさり方」とはいう。もう少し品を落として、「神様のくせ、常套手段」と言ったこともあるが、神の論理。明快だ。
まだまだ紹介したいが、直接読むのが一番。ということで、…。
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