9ケ月遅れのWYD
復活祭明けの昨日と今日、教皇に謁見。といっても、確か聖木曜日だったか、贈呈を受けた教皇の講話集を読んだということだが。先ず、肩の凝らない話で読みやすい、というの第一印象。
若いころ、先輩司祭の体験談に時の経つのも忘れて聞き入った時のことが蘇ったほど、終始司牧的。とくに、昨年の聖香油のミサでの説教は圧巻。
かつて神殿で奉仕した大祭司がつける胸当てにはイスラエル12部族の名が記されていた(出エジプト28.21)ことに触れ、「祭司は、自分にゆだねられた民を肩に背負い、心に刻まれたその名を携えながら祭儀を行うということです」(56頁)と解説。そして、「私たちはつつましいカズラをまとうとき…肩の上にまた心の中に、自分たちの信じる民の重みと顔を感じさせられます」(同上)と述べられた感想に、カズラ(ミサの時に着る白の長衣‐アルバ-の上にはおるマント状のもの)を身にまとう意味を知った。
「良い司祭かどうかは、その民がどのように油を注がれるかで分かります。…民が良い知らせを聞いたことを顔に表しながらミサを終えて出てくる場合です」(57頁)。しかし、「自分から出かけて行かず、恵みの仲介者とならない司祭は、次第に単なる管理者と化してしまいます」(59頁)と手厳しい。そして、「『羊の臭いのする』牧者となることがありません。…本当に、『羊の臭いのする』牧者となってください」(60頁)。
「と、フランシスコ教皇は言っておられます。」17日の聖香油のミサの説教の決め手になるはずだったのに、遅きに失した。それはともかく、思わず笑ってしまったのは、「WYDでの教皇のすべての話がスペイン語だけだったのでまったく理解できなかった!」不満が、9か月後の今日、一気に解消したからだ。もっとも、中央協のHPには早々と日本語訳が出たらしいのだが…。
牧者教皇のことばの深みの紹介は明日?
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