元気印アイラ
ミサ前に赦しの秘蹟5名。聖堂いっぱいの信者。5名の侍者団。2年前と変わらない。変わったのは、侍者の年齢が高くなったこと。1年生から高校新一年生までの男子3、女子2。
高齢化が進むにつれて尻すぼみというものではなく、どこの教会よりも後継者が育っている。「司祭がいなくてもここの教会は自分たちでやっていけます。日曜日にミサに来るだけでいいです」と主任司祭が言うだけあって、食後の対話も活発。「お寺の葬儀でお題目の唱和を促されたときどうしたらいいか。」「『アーメン!』」と答えれば」に爆笑。冗談はともかく、「気が咎めるから黙っている。」分かっているのに敢えて質問したのは「安心が欲しかった」ようだった。気持ちは分かる。
少し深刻になって主任司祭への注文も。これは主任司祭も想定済み。子供達にたいする教会解放の問題。なんでも、主任司祭が、近所の子供たちと仲良くなり、我が物顔でゲームに興じる「たまり場化」にたいする信者からの拒絶反応。よくある、「何かあったらどうするか」という責任所在の問題。母親公認の遊び場教会はむしろ微笑ましいと思うのだが、信者たちと主任司祭との見解に齟齬があったよう。「主任司祭不在時には出入禁止を遵守してもらう」ことで一件落着?
勉強家の司祭とは聞いていたが、手作りのカテケージスを出版。表紙代わりの一頁には聖書の神のタイトルに次いで「後悔しないために」で始まる前置き。「一つしかない人生を無駄に使ってしまった!と気付くとき、もう遅い。」何となく彼らしい。ぱらぱらめくって「指切りげんまん」に目が留まった。旧約の契約のいけにえの動物が屠られる説明の項。子供たちが今もする約束履行のしるし。なるほど。まるで姶良版YUCAT。小教区で働く司祭ならではの発想。
みんなで勉強会を始めたらと勧めたが、司祭も信徒も個性豊か。手ごたえ十分の元気印。前向き発想で子供たちともども前進を期待したい。司牧訪問の名にふさわしいひと時だった。
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