分け入っても・・・
「もしあの人が来ずわたしに話しかけず、わたしを乱さなかったら、わたしは罪を犯さずにすんだでしょう」と言っています。しかし、これはばかげたこと、屁理屈です。(毎日の読書第4巻142頁)
「聖ドロテオ修道院長の教訓」ということだが、どんな人だろうと興味が涌いた。それというのも、人のせいにしたがるクセは確かに厄介。いや人だけではない。何かの突発的なハプニングで予定通り行かないときには気持ちを静めるのに時間を要するし、そんな状況に腹を立てたりもする。
ごく自然なことといえばそれまでだが、彼は言う。「後になると、もはや試練は前と同じように自分を苦しめないことになるでしょう。進歩すればするほど、ますます試練は軽く思えるでしょう。魂が進歩したその程度に応じて力強くなり、襲ってくることを耐える力を持つようになるからです。」(同上)魂の深みを知った人の旅に終わりはない。
旅と言えば、ふと、あの放浪の詩人山頭火の好きな歌がよぎった。「分け入っても分け入っても青い山」奥深い神の懐をまさぐる旅に終わりはなく自分との出会いの旅の向こうにもみずみずしい青い地平が広がっている。そんな希望を感じた朗読だった。黙想会の続きのようなひと時だった。
午後、舞台劇「長崎の鐘」のチラシが届いた。鹿児島公演の実行委員長をおおせつかったこともあって、新聞社へのあいさつ回りの予定も入った。純心学園や他の私立高校も学校挙げて鑑賞することになっているという。これもまた、予期しないことで、感謝のうちに鹿児島の宣教のために頂いた恵みの時としたい。8月の原爆の日を前に一人でも多くの人に鑑賞してもらいたい。
昨日は一日外出も控えて静かにしたせいか、久しぶりのランも快調。
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