列聖式
23日(日)コンフォルティ司教列聖式。8:30過ぎ正装で会場のバチカン広場へ。許可証をかざすと
スイス兵が最敬礼で通してくれた。いくつかのチェックポイントには他にもバチカン警備員が。先頭を行く宮原司教さんに「彼は本当に司教か」とボクのことを尋ねたらしい。リュックを担いでいたからだという。
聖ペトロ大聖堂正面にはコンフォルティ司教を中心に両脇にシスターと司祭の肖像画。ミサ前の数十分は、列聖される3名の紹介がいくつかの言語でなされ、ミサが始まってまもなく、顕示台に納められた3名の聖遺物が、それぞれの関係者の手で祭壇脇に安置された。初めて見る列聖式の風景だ。最初の親子はブラジル出身。子供がまだ赤ん坊の頃、助かる見込みはないとの診断に、コンフォルティ司教へのノベナの祈りが捧げられた。すると、赤ん坊は奇跡的な回復を遂げたという。その赤ん坊が今では小学生に。1996年の列福だから、15年後の列聖は早い。
みことばの祭儀で目を引いたのは、東方教会の助祭もギリシャ語で福音を読んだことだった。聖書はもともとギリシャ語で書かれたものであることと、東方教会に対する理解と親しみを表すためらしい。現教皇になってから始まったという。教皇のお祈りのスピードがわりと早いのに驚いた。全体的にスッスとはかどって2時間ほどで終わった。
式後、待ち合わせ場所に向かう途中、3名の日本人司教の正装した姿に色々の国の巡礼者が記念撮影に殺到?行く手を阻まれた。みんなと合流したと思ったら、日本人は日本人で「別の人みたい」とパチパチ。レストランに向かうバス内で普段着に。
お昼の後、多くの画商や物売りが店を広げ多くの人で賑わうお祭り広場の感があるナボーナ広場からパンテオンまでを徒歩観光。縦横43.2mの半球体のドームは2世紀前半の建築だという。日本の弥生時代。知力の高さというか、文明の格差の大きさに愕然とした。天井中央部には明り取りの大きな穴があけられていて、入り口を開けておくとかなりの上昇気流があるという。少々の雨でも堂内に落ちることはないという。
その後のオプションは参加せずホテルに戻り、荷造りとシャワー。部屋の掃除はいらないといったのに、ベッドもきれいになり、タオルの交換もなされていた。ローマ最後の夜。十時過ぎ就寝。
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