初、初、初?
正月恒例の招待が伊集院から来た。今年は天気もよさそうだし「歩こう」と二人が決めた。8:45出発。昨夜のチーズがしっかり残っていてスタミナには自信があった。
鹿児島にはまだなじみの薄い連れの司祭に時々観光案内をしたりしながら市街地を抜けた。「ミッカン坂です。なんでそういうのか知らないがそう呼んでいます。」頼りない案内もまもなく合点することに。ミッカン坂を過ぎ「このアパートがNさん。左手Kさん」を過ぎてまもなく行ったところに道路工事の案内板が。「水上地区道路整備・・・」「あ、そうそう、これこれそうでしたそうでした!」
密かにミツカン酢を連想したりしながら謎解きをしていた自分が情けなかった。それにしても、以前ワケを聞いたことがあるのだが、水上地区にいたる坂の意味だったとは!思いがけず全容解明!謎が解けた後はいよいよ人家も途絶えがちなローカル線。一時間以上も歩いただろうか。ぽつんとガソリンスタンドが。と、歩道の割れ目に真っ白の氷が!小さな水溜りも白く光っていた。雲ひとつない日本晴れ。この山間の高台では昨夜0℃以下に冷えたのかもしれない。外気も相当冷えているはずだ。そ言えば、休まずに歩き続けても汗をかかないことに気がついた。それどころか両腕がかなり冷たい。
ポケットに忍ばせたiPodを耳にすると音楽かと思いきや、あの「神の痛みの神学」で世界的に名高いプロテスタント神学者北森4嘉蔵博士の朝日カルチャーセンターでの出エジプト記20章の解説だった。1998年に亡くなられたようなので、その頃のお話かと思う。神の痛みの神学は僕にも大きな影響を与えた本なので、思いがけない師と再会したようでうなづきながら一生懸命聞いた。ゆっくりと懇切丁寧な解説にはさすがと思ったが、一つの話の中で同じことが三回も繰り返されたり、晩年を感じたのは少し辛かった。
ともあれ、連れの司祭はボクに気を遣ったのか数メートル後ろを歩くので「もしかしてボクのペースが速い?」しかし、驚くべき真実が明になるのに多くの時間は不要だった!ほぼ5時間後、目的のご馳走満載のテーブルが待つ、いや、二人を案じた愛すべき仲間たちの待つまさに”アットホーム”にはなんと予期しないお風呂が!冷え切った全身を湯船に沈め至福!しかし、もっと驚くべきサプライズが!「帰りはどうされますか?」「送る人がいなかったら電車でも・・・」(と言ったかどうかは定かでないが)「せっかくだから歩こうかと・・・」「歩く!?」あまりの空腹と疲労に食欲も湧かないでボンヤリしているボクにはさすがにあせった。数歩後ろの彼に気を遣った僕の立場はどうなんだ!
ともあれ、だから、十時間遠行というのは彼のこと。四時過ぎに送り届けてもらったものの、異常に体がきつい。そのままベッドに。激しい悪寒とせき。これは困った。さすがのボクでも?明日の船で奄美はきつい。ドタキャンの電話を受けた司祭の狼狽振りは気の毒だったが・・・。昨夜のあの怒涛のような汗での二回の着替え。9時過ぎ起床。信じられないほどスッキリ。数年ぶりの大嵐に動転したおかげで今日は正月三日目を自宅静養。ゴホン!奄美の皆さんごめんなさい。良いお正月を。
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郡山司教様、風邪を引かれたんですね。それも、熱も高いようで、どうぞ、ゆっくり休まれて、早く治りますようにお祈りしています。お大事になさってください。
奄美は、おかげさまで、それほど、寒くなく穏やかなお正月を過ごさせていただいています。
今年は息子が孫を連れて帰ってきたので、どっぷり家族で寝正月と子守の日々でした。
孫はかわいいですが、若すぎて元気すぎて困ります。
息子も正月早々新年会で二日酔いだったので、いつまでも若くないんだから体に気をつけるよう言い聞かせました。33歳です。
倍近い我々はもっと気をつけないとね。、、、(特に責任ある方は)
お体お大切に、丑年ですからぼちぼちと。