別れの朝
26日。ブダペスト最後の日。8:30のミサ後、神父様との最後の懇談。ハンガリーについて「一番印象に残ったことを聞きたい」とのことで1人数分ずつのコメントが述べられた。
「直接話したのはホテルの人だけでしたが穏やかで素朴な感じを受けました。町の様子も静かで落ち着いた感じで好感が持てました。」これはボクの観想。さすがに食事についてはコメントする勇気はなかった。多くの人が最近の著作を購入。ハンガリーの大学を出たノゾミ君にボクも一冊。すでに4版を重ねていると聞きいっせいに驚きの声が上がった。この国でも神父様の霊的影響力の大きさが分かる。
日本からルーマニアに派遣されたときの神父様の印象は「神学生に笑顔がない」というもので、社会主義体制下の国の実態を知って愕然自失。「これではいかん!」と3年間の在任中の彼らへのメッセージは「喜びなさい。」ハンガリーの人々も同じで「文句ばかり言っている。」そこで始まったのがブログによる「文句を言わない人のグループ」。生活即信仰。ヤコブの思想が生きていることに驚いた。この偉大な司祭がこんなにも平易な言葉で信者の生き方にチャレンジしているのが嬉しかった。それというのも、法華経に啓発されて同じようなことを言っているからだ。ハンガリーで同じようなことが聞けるとは!
10:30空港へ。キオスクでビールとサンドイッチのお昼。機内サービスも生ハムのサンドイッチ。このところ肉類を口にすることが多くなった。
ミュンヘンでの乗り換えはヒヤヒヤ。厳しすぎるというか意地悪というか、「間に合わないのでは」と気をもむわれら一行にのんびり対応。走ったり、大またで歩いたり。結局最後の乗客。席について間もなく離陸。ヤレヤレ。しかし目的地ローマでもハプニングの続きが待っていた。一個の荷物が出てこない!聞くところによると、40人もの人々が届かない荷物に喧々諤々だったという。ともあれ荷物は2日後の28日にローマのホテルに着くことになったという。そういうわけで一時間遅れの出発。アシジ着は午後9:00前。
由紀おばさんの訃報のメール。たくさんの思い出を残してくれたことに感謝。ふと思う。由紀おばさんの人生ってなんだったんだろう。子供の頃は今で言えば教会学校の先生。オルガンを弾き聖歌を教えてくれた。小学生になった頃お嫁に行ったものの破綻。人吉で教会の幼稚園の先生に。中学生の頃退職して帰島。以来眼科のクリニックを営む兄を支え、われら7人の兄弟にはなくてはならない母親代わり。レジオ・マリエで活躍し教会の陰の力となって司祭たちを支えた。姉を看取り、父である兄をも看取って、兄夫婦から同じような待遇を受けて永遠の安らぎに入った。ミサで送ることはできなかったがアシジ大聖堂のミサでお祈りした。愛すべき単純な性格で多くの良き業をなしたことに御父が十二分にお報いくださると信じるので特別の悲しみはなかった。95歳。まさに天寿をまっとうだ。天国への凱旋を祝いたい。
11:00就寝。
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