十字架賞賛の日に
ラストサムライ。2003年作のアメリカ映画、とは知らなった。主人公勝元が廃刀令を無視して御前会議?に出席したため、謹慎処分を受ける、ところから観た。
明治維新の新政府にたてついた人といえば、西郷隆盛、そして、西南の役。どうやら、一言で言えば、同じ筋書。結局、刀に象徴される侍文化が銃に象徴される近代文化に駆逐される歴史の大きな流れが、銃や大砲に機関銃を相手に刀や弓で立ち向かう勝元軍の悲惨な敗北で象徴的に描かれる。もっと深いメッセージがあるのかもしれないが…。
もう一つは、レ・ミゼラブル。これは飛行機や新幹線に乗るときに読んでいるが、明日のミサのことも気になりながら、続きを読む誘惑に負けた。
フランスの一寒村を豊かな村に変貌させ、ついには、人々の信任厚く市長になったマドレーヌ氏が実はジャン・バルジャン。慈善事業家としても人々から絶大の信頼と尊敬を博しているマドレーヌ氏が、法廷で、「私がジャン・バルジャンだ」と宣言して、濡れ衣を着せられてジャン・バルジャンにさせられていた老人を解放してあげるというくだり。息をのむどんでん返し。
話すと長くなるが、彼の回心を予感させる魂の懊悩は、服役していた時には決して体験したことのないものだった。徹底して、ワルに徹した彼が己の心の声に気付くようになったのは、あの、ビアンブニュ司教との出会いによる。もっと正確に言うと、燭台を盗んだことで警察につかまり、司教館に連れてこられた時に司教の口から出た言葉「彼に上げたものです」で放免されたことに始まる。8巻まであるというが、まだ4巻。息も尽かさぬ、目まぐるしく変わる状況にまったく目が離せない。映画にもなって、鹿児島でも長いこと上映されていたが、結局見ずじまい。
ともあれ、法廷に至るまでの市長さんの懊悩は、回心時のそれとは違うだけに、ボクもずいぶん滅入ったホド。このまま慈善家の市長でいることもできるが、そうすると無実の老人が死刑になる。だんまりを決めるか、名乗り出るか。そこらあたりの描写がすごくて、先が知りたくて…ついに部屋で読んでしまったワケ。昨日、東京からの飛行機で読んだ場面が悪かった。
明日のミサは教区創立記念ミサで11:00。つい、気が緩んだ?十字架賞賛の日にふさわしい?
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