司教誕生
9月23日(金)広島教区司教叙階式。神学生の頃、医者になりたての兄を訪ねたのが神学校に入った頃の21歳だったか。当時5歳の長男が今では立派な眼科医になっているのだからかれこれ47年ぶり?いや、それはどうでもいい。
駅で、平和記念聖堂に行きたい、と言ったらすぐに分かってくれた。さすがだ。手渡された観光地図に従って歩き出した。大きな川を渡って右に折れてまっすぐ行けばいい。しかし、はじめての土地というのは不安なものだ。信号待ちの二人連れのオバサンに聞くと目的地が一緒。ついていくことに。
高い鐘楼は記憶にあったがまるで処女地。聖堂の外観はかなり年季がいっている。500名は収容できるかと思えるほどかなり大きな聖堂に驚いた。聖堂からはみ出した人もいたようで屋外のテントにも多くの信者たちが1:00の開式を待っていた。
司式は26年勤めたという前司教。この数年は会期中も人工透析をしながらのお勤めだっただけに、痛ましかったが、天性の明るさが救いだった。本当にご苦労様でした、と申し上げたい。平和の使徒となろう、という前任司教の意思をついだ新司教のモットーに加わったのが、「おことばですから、網を下ろしてみましょう」(ルカ5,5)。俳句をたしなむ彼はまた「釣りはプロ並」と紹介されただけあって”断れず 網をおろすや 更衣(ころもがえ?)”と詠んだ。記念のカードに記されていた。紋章にも、ちゃんと網の文様が。
フィリピン・インファンタ教区の顔見知りの司教さんも。聞いてみると広島教区とは姉妹盟約を結んでいるという。プサン教区とのことは知っていたのだが・・・。
新司教への司教団の按手は、仲間に迎える式という感じで、やはり圧巻。ミサ後の挨拶では会衆から笑いが起こるほどに緊張したらしく、しかも、トツトツとした話し方が好感を抱かせた。「私たちは今年4人もの司祭を失いました。」挨拶に立った長崎大司教の言葉に胸が痛んだが、「2人は病死、2人は高松と広島に召し取られました。」広島教区の司教は代々長埼出身者だと知って、長崎の底力を見る思いだ。長崎、上五島出身ということで、司教団代表の挨拶は「筋金入りの信仰の持ち主で・・・」とキリシタン末裔の信仰を高く称揚。各代表の挨拶の中でも若者たちからのメッセージはフレッシュで、動画に。新司教を迎えた広島教区の歓喜が聖堂にこだましたようだった。
帰りはモシヤ、と指定席を取ったのだが、気が抜けるほどガラガラ。11:30帰館。
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Re:司教誕生
広島教区の信者です。昨日の前田万葉司教様の叙階式を記事にしてくださってありがとうございます。
広島の信者はカテドラルには入りきらないので隣の音大のホールで叙階式のミサに与りましたが、大変恵み深い一日でした。新しい司教様を与えてくださった神様に感謝いたします。また、三末司教様が引退されるのも名残惜しいです。
私のブログにも簡単な記事を書きましたので、よろしかったらご覧ください。
聖堂には入れなかったので、臨場感のある写真はないのですけど。
郡山司教様
広島教区の信者です。昨日の前田万葉司教様の叙階式を記事にしてくださってありがとうございます。
広島の信者はカテドラルには入りきらないので隣の音大のホールで叙階式のミサに与りましたが、大変恵み深い一日でした。新しい司教様を与えてくださった神様に感謝いたします。また、三末司教様が引退されるのも名残惜しいです。
私のブログにも簡単な記事を書きましたので、よろしかったらご覧ください。
聖堂には入れなかったので、臨場感のある写真はないのですけど。
http://blogs.yahoo.co.jp/mag_sophy/21448361.html
Re:司教誕生