司祭大会(3)
典礼の刷新において最も大きな変化の一つは両形態の聖体拝領。実際にするかどうかは司式司祭に任されている。もちろん、時、場所、状況に応じて。
ミサには旧約の民の歴史、つまり神体験が反映されている。昨日も触れたことだが、大切なことなので補足したい。
シナイ山の麓での神と民の契約のことを思い起こしていただきたい。モーセは半分の血を祭壇に、後の半分を民、12部族に注いだ。そして言った。「これは契約の血である」と。
イエスは、この出来事を思い出して、ぶどう酒の満ちた杯を取り、「あなた方と多くの人のために流される新しい永遠の契約の血」と言われた。聖変化だ。もっとも、両形態の拝領が通常なされるわけではないのだが、実は、「キリストの御からだ」を頂くとき、あのシナイ山の麓で契約の書を聞いた民の答え、「私たちは主が語られたことをすべて守り、行います」(出エ24.7)を思い起こす必要がある。
というのも、民の答えこそ、私たちの「アーメン」が意味するところであり、新しい契約更新のことばだからだ。御血の拝領がなされるなら、血を振りかけられた民とより具体的に結ばれるので意義深い。
ともあれ、新しい契約を更新することで、私たちの生活はどのように変わるのか。民の変化は神の民となる変化だった。神中心の生活の始まり。ご自分を与え続ける神の民となった私たちの聖変化とは。パウロにならって言うなら「愛の人になること。」今日はここまで。
春のような陽気に誘われて久しぶりのスロジー。スロージョギングのこと。スローな爺さんという自虐的意味もある新語。
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