司祭大会速報
司祭大会二日目。神学者として、大学で教えるだけでは司祭としていかがなものか。隣の小教区を手伝うようになって、司祭は職業ではなく召命だと確信できるようになった。
求道者にキリスト教を説き、彼らの話を聞くことで、「小教区で司祭にしてもらった」という正直な告白は、印象深く、好感が持てた。というのも、「私たちは、皆さんを司祭にしますが、皆さんを本当に司祭にするのは信者です」という神学校時代の院長さんのことばを思い出したからだ。また、独身であることが、司祭職が単なる仕事でない理由があり、そこに証しがある、とも。
「神父様はそんなことをみんな信じているんですか!?」「信じていますよ。」「だったら、私、洗礼を受けます」言ったご婦人の話も印象深い。最後は、その人が信じられるという、そんな証しがものをいう。だから、司祭はいい人でないといけない。人を愛する力を持った人でないといけない。昨日の初日の結論は、そうだそうだとうなづいていたら、突然、チャレンジを迫られた感じだった。
二日目となる今朝の「宣教から福音化へ」という話はかなり刺激的だった。1955年代に多くの宣教師が日本に送り込まれてたくさんの人が洗礼を受け、次々と教会が建てられていった。こうして、多くの教区が生まれ、たくさんの小教区が誕生した。しかし、今日、統合や再編が課題となっている。
第二バチカン公会議は、「教会は世界全体のためにある」という開かれた教会観を示したが、いまだ、「宣教」の域を出ていない。世界のあらゆることが教会の関心事となって、その中に福音の力を注ぎ込み、周りの人々や社会を神の家族に変えてしまうという教会の目的が明確にされているわけではない。午前中の結論は、「みことば(イエス・キリスト)をのべ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい」(2テモテ4.2)。
ウーム!会場にはことばにならないうめきが。
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