地球の裏から
西南戦争従軍記(風間三郎著南方新社)を読んでいる。著者の先祖が医療班として従軍。
1877年2月13日の出発の日から毎日つけたという数行の日記をもとに思いを膨らませて物語風に仕立ててある。漢字の多い日記の解説書といってもいい。祖父がやはり医療班として従軍したと聞いていたのでそこら辺りの情報が入手できるのではないかと期待は大きい。「当初は軍医として籠に乗っての参戦だったが負け戦となり籠どころではなくほうほうの体で逃げ帰ったそうだ」と子供の頃伯父が笑いながら話したことを覚えている。
日記の著者は船で、西郷さんたちは陸路加治木に向かったとあるのも興味深い。徒歩だったのか籠だったのかは記されていない。ともあれ、日記によると、人吉に抜ける加久藤(かくとう)峠は雪のため軽装の薩摩軍は難儀を極め、中には凍傷にかかかり足の切断を余儀なくされた者もいたとある。まだ読み始めたばかりとはいえ、132年の時を隔てた祖父の世界が一コマづつ映し出されていくようで興味は尽きない。
夕方ウガンダの少女からファックス。今月1日に送金した旨ファックスしたが流れなかったので郵便で知らせたのだった。「期待していたのに私たちは失望しなければならないのですか?」涙の嘆願が届いたのだが手の打ちようがなく気をもんでいたところだった。「これで弟と二人で学校に戻れました」との知らせにホッとした。それにしても一ヶ月近くを要したとは!
袋に詰めた砂とセメントを背にお墓ウォーキングへ。二週間ぶりだ。今回は昨日の遊歩道を通っての裏コース。約40分。心当たりはあるのだが、誰かが枯れた花を除いてくれていた。トラの尾には白い根が生えていた。墓地の補修もほぼ半分終了。だんだん見栄えが良くなっていくので嬉しい。
帰りは教会墓地後に上がってみた。大きな進展はなかった。役所の方が再度視察にこられて当初の予定には入っていなかった正面の区画の使用許可も頂きいたらしい。角の木の排除の許可も出たと聞いたがまだそのままだった。役所も民間のこうした動きを前向きに捉えてくれているようで嬉しい。急な坂道を下り右に折れたとたん、正面の空にきのこ雲が。音なしの噴火だったようだ。
夕食後思いがけない三者会談。韓国の銘酒と共に久しぶりの歓談に時を忘れた。
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