夭逝の聖人
「こんにちわ!」「あ、こんにちわー」小さな角を曲がったところで若い女性から挨拶を受けた。にこやかな表情から信者?でもなさそうだった。出会い頭に思わず出た挨拶だとしたら若いのにエライ!
そいえば最近こうしたことが間々ある。いつかは川べりの遊歩道で女子高校生の挨拶。昨日は、城山への階段を上り詰めたあたりでは若者。彼はいかにも親しげに「お疲れさんですー」。あえぎながら「いやーまったく・・・」。いづれも行きずりの小さな出会いが嬉しい。
今日は、ダイソーでドライバーに木工用ヤスリ、それに小さなホウキ付の携帯ちりとりセット三点購入。ドライバーは抜けなくなった花瓶を抜き取るためのノミ代わり。ヤスリは教会墓地の飾り十字架用。ちりとりセットは、ホウキがなくなっていたのでそのつど持ち帰るため。
運良く手に入った硬い石をかなづち代わりに早速作業開始。花瓶の周りのモルタルを削り取って見たもののうまくいかない。悔しいが、今回も次回持越し。仕方なく、花束を抜き取り、バケツの水を一メートルほどの高さから勢いよく注いだ。おそらく中の水は新鮮なものと入れ替わったはずだ。ちりとリセットも大活躍。ロザリオ一連。
さて、今日の目的は飾り十字架の文字の解読。心なしか昨日にも増して神の文字はくっきり。早速ヤスリでゴシゴシ。下の文字がすぐに判明した。”僕”。「そうか、縦は”神の僕”だ。やっぱり信者に違いない!」望もはっきりしたのだが伊が解せない。
帰宅後早速、手がかりを求めて白川静博士の字統を開いた。「川の名・人名・これ」「エッ!」思わず叫んだ。読めたぞ。「神の僕、これ望」=「神の僕となる。これが私の望」ではないのか。しかし、そこまで深い信仰の持ち主だというのならどうして霊名がないのだろうか。もしかしたら、川崎省一さんは「人間聖人の名を頂くよりは十字架の主そのもので十分」ということだった?それにしても18歳という若さでの開眼。いかに主に愛されたことか。夭逝の聖人川崎省一。本が書けそう。
誰か川崎省一さんを知りませんか?
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