宣教学校卒業式
去る2日に始まった宣教学校が終了した。参加者は恐らく延べ30数名。決して多い数ではないが、この連休のさなか敬服するばかりだ。
もっとも、浮かれ歩く気分を控えたくなる連休ではあるとしても、万難を排して、「宣教できる信者になる道」を選んだ一人一人に心から祝福を送りたい。なによりも、毎回、並々ならぬ熱意を持って大阪から駆けつけてくださる日本での創始者である司祭に感謝だ。鹿児島教区の頼もしい助っ人の一人だ。鹿児島教区がこうした熱意に満ちた集団を必要とし、現に支えられていることは本当だ。こうした一人一人の熱意が面となって広がって行くのが宣教。
参加者が実りをもたらして欲しいと願うばかりだ。洗礼のときに灯された鹿児島教区の信者約1万の恵みの明かりは決して消えることはない。すっかりご無沙汰していても洗礼の恵みは不滅。あの人もこの人も「キリストの体」「アーメン!」というかかわりに導かれるまでをイメージしながらの祈りは途絶えてはならない。何がどう転んで灯りにスイッチが入るとも知れないスリルを味わいながら祈るのはむしろ楽しい。祈り継続の秘訣でもある。
初日の第一講話が印象に残っている。テーマは新しい命。導入が面白かった。ワシの寿命が70歳であることにも驚いたが、40歳頃になると伸び過ぎたくちばしに爪を再生する必要があるのだという。そうでないと獲物をうまく獲れず自滅するからだ。それで、岩にぶつけて嘴を折り、伸びてきた頃に新しい嘴で爪をむしり取る。こうして再生された新しい嘴や爪で寿命を延ばす。という伝説があります。思わず真剣に聞き入ったのは現役教師の話術のせい?
それにしても、今日の反省会は全員感謝につぐ感謝。中には、授業の興奮が冷めやらず、延々と自らの信仰を語る参加者もいて、今回の学校がいかに成功裡に終わったかが分かった。とにかく教会の活性化にはあの手この手の総動員だ。神様の畑にはどんな宝が隠されているのか分からないのだから。
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