川辺キリシタン譚
バスでの一時間半の講演小旅行は楽しかった。伊作峠を越えたときだ。後ろの乗客から肩をたたかれた。「教えていただきたいんですが、農業大学校はどこで降りたらいいんでしょうか。
伊作の先とか・・・」「あ、いやこの辺りはボクも・・・。運転手さんに・・・」「ああ、ありますよ」それっきり無言。「次は伊作です」20分ほどでやっと着いた。車内放送にボクもホッとした。席を立つ乗客に「まだですよ」それっきり運転手はまたも無言。また落ち着かなくなった。10分は行っただろうか。「農業大学校前です」何だ停留所があったんだ。その一言があの時どうしていえなかったのか。ともあれ、他人事とはいえ一件落着。
「カトリック幼稚園前を通りますか?」市内に入って急に不安になった。「これをまっすぐ行くとあるんですが」「まっすぐは行きませんよ。三つ先の信号を右折します」今度はボクの番だ。一つめ、二つ目・・・。三つ目を曲がったところで下車。なんと、降りた先の細い通りのまっすぐ向こうに幼稚園のバスが見えるではないか。楽勝。なんだか運転手さんに知らせたくなった。
講演会は持ち時間の一時間を5分以上も超過。できばえはお母さんたちに聞くとして、今回の収穫は何といっても市来(いちき)から川辺(かわなべ)に移住したキリシタンたちのお墓を確かめることができたことだ。川辺の町の中心から北に約四キロ。市来から地頭職を命じられて移住してきた新納(にいろ)久饒(ひさあつ)は17歳でザビエルから洗礼を受けたとされる。
しかし、帰宅してかつて読んだ本を再度開いてみてガクッ。なんと、島津貴久に気を遣ったのか棄教したのだという。ということは、地頭として川辺に赴任したときはすでに棄教していたということか?しかし、川辺町郷土史には教会を建てたと記されている(509頁ー今日貰った資料)。しかも、訪ねた新納家の菩提寺跡の墓石には「心」という文字が刻まれている。これはキリシタンの墓に多いのだという。さらに、墓石に刻まれるハスの花の一つは明らかにカニだ。ザビエルが海に落とした十字架をカニがくわえてきてくれたというエピソードに由来するものでこれもキリシタンのしるしではないかという。
これはいづれもキリシタン研究家の説明だったという。案内してくれた学芸員の話は興味深いものだった。いずれにしろ、こうしたことが史実だとすれば、仏壇の町としての川辺に教会がありキリシタンたちの祈りが捧げられ、宣教師が巡回してきた聖地といえる。せめて死者の月にはお祈りに行きたい。宗教行為の可否を問うと学芸員の先生も「ぜんぜん問題ありません」。川辺が面白くなってきた。
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