巡礼再体験
フランス巡礼からちょうど一カ月。訪問先のショファイユのシスターからお便りが届いた。訪問時間が予定より大幅に遅れたので、せっかく準備された修道会創立の経緯に関するお話を聞くことができなかった。その原稿が同封されていた。
シュファイユがオータン教区の一部であることが分かり、改めて、巡礼のコースをたどってみたくなった。エネルシャトーも確かオータン教区に属していると聞いたように思ったので、早速、世界のカトリック統計一覧で調べてみたが確かめることができなかった。
それはともかく、パリからヌベールに始まった巡礼を再び地図上でたどってみるのは楽しく、時間がたつのも忘れた。全行程約970キロを4日間で走破したことになり、いかに駆け足巡礼だったかに驚いた。それでも、フランス中部のブルゴーニュ地方のほんの一握りを行ったり来たりしたわけで、フランスの国土がいかに広大かも実感できた。
驚いたと言えば、シスターの原稿にプチジャン神父が登場することだ。あの信徒発見(1865年)の立役者プチジャン司教が修道院付司祭としてシュファイユに赴任されたのが、修道院開設間もない1854年。師は、大変優秀な司祭で、週5回もの講話をこなしながら修練者の指導に当たられたという。
しかし、当時から外国宣教に関心があり、1859年、堅信に来られた司教様にその許可を願い、受け入れてもらうと、その夜のうちに、書置きをし、人目を忍んで、窓から抜け出し、パリ外国宣教会に入会されたという。翌朝のミサに姿が見えず、大騒ぎになり、事の次第を知った修道院全体が悲しみにくれたのは言うまでもない。それにしても、出発を阻止されることを心配されたからとはいえ、その日のうちに、誰にも相談することなく、しかも夜中に脱出という強硬手段をも辞さなかった神父様の即断というか、覚悟のほどに心打たれた。
そんなことなど、シスターから修道院でゆっくり聞きたかった。そのプチジャン司教のふるさとが、われわれが「何もない」ということでパスしたブランジー。あのテゼの祈りで有名なテゼ村も近くだということが分かった。若いころ憧れたところのすぐ近くを、それとも知らずにパスしたとは!
あれもこれも人任せの旅だったのだから仕方ないことだが。
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