幻の2年間
フランス巡礼以来、ブイジュ神父様についてのアヤフヤな知識が気になりだした。改めて、奄美100年誌をひも解いてみた。神父様の来島が1899年であることは、先に調べてわかっていたが、
実は、神父様のフルネームが、ブイジュ・ヘンリー・レオン MEP。エネルシャトーの墓地には、ブイジュ家と刻まれていたので、ヘンリー・レオン・ブイジュが正式な表記かも知れない。MEPはパリ外国宣教会のフランス語表記。
ところで、わが故郷瀬留、当時は瀬花留部(せけるべ)、に宣教が開始されたのは、1894年。幻燈機を使ってカトリックの教えが宣べられたというから驚いた。幻燈にも驚いたが、何よりも、わが村にも、明治27年に電気があったことに驚いた。ランプ生活ではなかったのだ。初めて知ることで、今度は、いつごろ村に電気が来たのか調べたくなった。
ともあれ、その5年後にブイジュ神父様が来られたのだが、1901年には徳之島での宣教に派遣され、「面縄(おもなわ)勤務」とあるが、翌年7月には、最初の来島者フェリエ神父様とブイジュ神父様が徳之島へ渡る、とあるので、定住ではなかったらしい。10月には徳之島を引き上げ、名瀬から巡回することになったという。そして、1903年、ブイジュ神父様は、徳之島での宣教を断念されて瀬留に赴任された。
数年前、地元の主任司祭に聞いたことだが、島の人々は熱しやすく冷めやすい性格のため、当初大変な歓迎を受けたが、期待を裏切られる形になったらしい。しかし、戦後の宣教によって、徳之島には500人余りの信者が誕生し、九つの巡回教会もできた。87歳の終身助祭も健在。熱い信者は多い。
一方、奄美ではみるみる宣教の実りは上がり、翌年の6月、瀬留では27名が洗礼を受けたという。
それはともかく、今日確かめたかったのは、瀬留で宣教された正確な期間だ。神父様の命日が1922年7月12日ということなので、1903年から定住されたとなると19年ということになる。フランスでも、「21年間も私の村で宣教されました」と紹介したものの、何かの記事で読んだだけで、実際、宣教師たちが記した年譜にあたってないので不安ではあったが…。
それにしても、二年間の違いはどうして?幻の2年間。次の課題。
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