徹夜祈祷会
徹夜祈祷開会ミサには約100名が!10時ごろまで残った人が約半数。その後少しずつ帰宅して、最終的には約30名が徹夜。何時まで持つか、行けるところまで行こう。つまり、深夜にはそっと抜ける魂胆だったが結局今朝の6:30の閉会ミサまで。
それというの、愛の泉8名のメンバーの見事なナヴィゲーターぶりに感服しているうちに、つい。先ず、ゆるし、イエスは主、解放、平和、癒し、恵み、聖霊、信仰のテーマごとに各自が体験の分かち合い。これが素晴らしかった。一人の持ち時間は1時間のようだったが、きちっとテーマをとらえて話しに無駄がなく、体験なだけに、聞く側の気持ちをわしづかみ。
「この人たちは本当に神さまと出会ってるんだ」と誰もが感じたに違いない。「幸いなのは神の言葉を聞き、それを守る人である」(ルカ11,28)という今朝の福音にふさわしい。それに、初めての発表だと思うのだが、あの嫌味のない落ち着きは一体どうしたことか。
「どんなことにしろみんなイエス様の足元に持っていくと心が空っぽになって、他人のどんな欠点も気にならなくなる」というリーダーの証言は値千金。そんな自由と解放への道を歩んでいるから、自分の力量を過信したり、あるいは過小評価したりすることもなく、自然体でいられるのだ。
ロザリオの4ッつの神秘が捧げられ、讃美歌もたくさん歌われた。リズムのいいプロテスタント系の讃美歌が多かったようだが、興に乗ると拍手をし、両手をかざし、体をゆすって陶然の境地。奄美の島唄(民謡)を聞くと、踊りは下手くそなのにボクでも血が騒ぎ、ほとんどの場合、引っ張り出されてではあるが、踊りの輪に入っていくのに似ている。
考えてみると、とくに音楽の場合は、興に乗ればつい体が動きだすのが自然だと思うし、そういう意味では、この人たちは人間本来の姿を地で行っていると言える。ほほえましくもあれば、少しうらやましくも。
奈良や福岡からの参加者もあって、一緒に祈れたことを喜んでおられた。祈りの援軍が教区を超えて広がっていくのは嬉しい。大いに増殖して欲しい。
ともあれ、午前中寝ることにしよう。
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大変興味深く拝読いたしました。
この本文中に「愛の泉8名」という所がありますが、
この『愛の泉』とは、どのような活動をなさっている
グループでしょうか。
お差支えなければ、お聞かせ願えませんか。
and especially with this new step of the all Diocese all night vigil..
We are praying for you and with you ...
Come Holy Spirit..
God bless..
Sr Stephen
こちらでお伺いしてしまい、大変申し訳ありません。ご多忙中にも関わらず、丁寧な
ご回答に感謝いたします。全くの偶然ですが、先ほど「燃える柴の会」の公式サイトを
見つけ、日本支部の名称が『愛の泉』と知り、もしやこの事ではと考えていた処でした。
信仰年の開始にあたって郡山司教さまが徹夜ご聖体礼拝をなさり、また「祈りの教区」
を宣言なさったとも聞き、こちらのブログへお邪魔いたしました。
少し前に知人の記事で、「説明は第三者から聞いたことを言うものだが、宣言は自分の
思いを言うものだ。」「(カリスマ神父と言われて)皆さんも、カリスマですからね」
という晴佐久神父さまのお言葉に触れ、こちらで『愛の泉』のお話を拝読して「まさに
これが<証>!」と感じ入った次第です。
(この晴佐久神父様の記事は、承諾を得て10月10日に私のブログhttp://blogs.yahoo.co.jp/vivavirgomariaでも紹介しております)
リンクになっている「讃美歌」からその歌声も聴かせて頂きました。美しいですね。
司教さまのご指導のもと、ご聖体のイエスさまの御前で礼拝、賛美、証……。
『使徒言行録』の時代の教会のよう、と思いました。素晴らしいです。
微力ではありますが、鹿児島教区と司教さまのためにお祈り致します。
ありがとうございました。