支離滅裂宣教論
今日12月3日は、ザビエル様の461回目のご命日。どうして、様をつけるんですか。かつて、誰かに質問を受けた。確かに、耳障りかと思う。しかし、あえて、ザビエル様と呼ぶことにしている。
独りよがりな考えだが、ボクにとって、というより、鹿児島の信者にとって、ザビエルは歴史上の人物を指す呼び方で、ザビエル様は、いわば信仰のご先祖。敬うべきお方。他人事では済まされないお方であり、いわば恩人。
そうそう、日本中の信者が、いつでもどこでも、「恩人ザビエル様!」と呼ぶようになったら、奇異な感じがするかもしれないが、それだけに、いやでも人々の関心を引くに違いない。「どうして恩人と呼ぶんですか?」と質問されたら大成功。「待ってました!」とばかりに、ありったけの知識を総動員してザビエル様を紹介するビッグチャンス。そして、キリスト教が日本の文化にどんな影響を及ぼしたかということまでも。鹿児島の人なら、ついでに、シドッチ神父様のこと、新井白石とのこと、そしてやがて明治維新のことまでも。話は尽きない。これも新しい福音宣教。
ついでに、提案したい、洗礼名を名刺に記すことを。宗教の臭いがするので仕事に支障が生じる恐れがあるなら、使い分ければいい。ボクの名刺には洗礼名がついている。「これはなんですか?」「ボクの洗礼名です。カトリック信者は…」小さな宣教ができた。自己紹介するときでも、たとえば、「パウロ郡山です。」これは自分で提案しながらできそうにないが…。
少なくとも、教会学校の子供たちを呼ぶときは家庭でも教会でも、洗礼名で呼ぶ。そうすると、少なくとも自分が洗礼を受けたことを忘れることはない。実際に、まだ歩き始めたばかりの「ヨシュア君」がいる。ボクはどうしてヨシュアなの?ヨシュアってね、神は救い、という意味なの。イエス様っていうでしょう。イエス様も神は救い、という意味なの。すごいでしょ!子供の質問には答えていなくても、すごいでしょ!で、納得するに違いない。すごいからヨシュアなんだ、と納得してくれるといいのだが…。
どうしてこういう話になったかというと、自分でも??とりあえず、支離滅裂宣教論ということで。午後7時記念のミサとパーティー。
*説教ではヨシュアのことを「神は想像する、神は偉大」と言ってしまった。お詫びして訂正します。
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