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教会とスポーツ

作成者 admin投稿日 2011年04月16日 21時17分 最終変更日時 2011年04月16日 21時17分
愛らしい米山教会

新しい宣教への招き

教会とスポーツ。数ヶ月前に頂いた手紙の意図することに戸惑った。ハテ何のことだろう。とっさに脈絡をつけられないでいたら今日その解を得た。

手紙の主が直接参上されてカクカクシカジカ。なんと、教皇庁の信徒評議会の一部門として前教皇の提唱で2004年設置されたものと分かった。アメリカでは“Catholic athlete for Christ”(カトリックの運動選手はキリストのため)の名で、メジャーリーグの一流選手たちがこの部門で活躍しているという。

その様子を紹介するDVDを三章だけ見せてもらった。最初のタイトルは謙遜。野球は自分を謙虚にしてくれると証言するのはやはり一流選手たち。失敗したときは当然だが、ホームランを打ったりファインプレーをして喝采を浴びるときは「神様あなたがナンバーワン!」と叫ぶのだという。十字を切って指を立てて天を突くしぐさがそうなんだという。二番目のタイトルは祈り。神様と直接対話することを薦めていて興味深かった。

そして最後はミサ。アメリカでも日曜日にスポーツをすることが多くてミサに行く子が少ないのは日本と同じだという。野球選手のためのチャプレンが任命されていて、日曜日の試合前にミサが捧げられる。子供たちが憧れる野球選手たちの熱い信仰の分かち合いは、子供たちの心をわしづかみにしているらしい。

で、教会とスポーツ。カトリック信者の一流選手たちが野球の指導をするのではなくて、彼らの信仰体験を語るのがアメリカでの活動。「日本でもこうした宣教活動を立ち上げたい」と二時間ほど熱く語って帰られた。日本でどう展開できるのか見当もつかないが、「新しい宣教がここにある!」と確信したあのお2人ならきっとことを起こしてくれそうな予感がした。それにしても、大リーガーにかくも宣教熱心な選手たちがいたとは!

「カトリックのランナーはキリストのため!」なんだか檄を飛ばされた感じなのだが・・・。ともあれ今日のランは4つの上りを制する団地コース13キロ。久しぶりだったがまあまあ。

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Re:教会とスポーツ

投稿者 koriyama 投稿日時: 2011年04月16日 21時14分
Angelaさん
いくつかのコメント読みました。洗礼のとき名前を二つもらうというのは身近なところでは聞いたことがありませんが、私の知っているところでは聖ホセマリア・エスクリバーという聖人はホセ=イエスとマリアの二つを頂いています。また、サンタ・マリア・ヨセフという神父さんが鹿児島にいます。この人たちは幼児洗礼なので親がつけてあげたわけですが、日本人でも可能なんじゃないでしょうか。

Re:教会とスポーツ

投稿者 Angela 投稿日時: 2011年04月18日 21時06分
司教様
ありがとうございます。…なるほど、複数の洗礼名が存在することはするのですね。志願者の方は最初福音記者ルカとマキシリアノ・コルベのどちらにするか迷っていらっしゃいましたら、モデラトールの「一つは堅信名で」とのアドバイスにより、洗礼名を福音記者ルカ、霊名をマキシミリアノ・マリア・コルベにすることにされました。ということは、その方が洗礼をお受けになった後はルカ・マキシミリアノ・マリア・コルベxxxxとなるのでしょうかね?なぜ、日本やインドなど一部の国で霊名という形式があるか、という疑問についてはある外国の宣教会の司祭がこうおっしゃっていました。修道会では洗礼名はもちろんだが、堅信名、修道名といただくでしょ。おそらく日本やインドに最初に宣教に来た宣教師達が修道会的なやり方を一般信徒にも持ち込み、それがそのまま形式化したのでしょう。とても修道会的な考え方ですね。でも信徒は特に霊名にこだわらなくてもいいんじゃないですか?と。なるほど、そういうことだったのか、と納得しています。
ともあれ、志願者やキリスト教や教会に興味をお持ちになって教会にいらっしゃる方にはやはりきちんとした説明を持ってものごとを伝えなければ、とつくづくと思いました。「何か分からない」ならまだその時点では安易に物事を行って欲しくないな、と。このご復活祭に洗礼をたまわる志願者お二人と一緒に準備をしてきましたが、私にとっても大きな学びとなりました。何より志願者の方達が自分達が今から臨もうとしている道がどのような意味を持つのか、ということを理解していただいて洗礼を受け、信仰を育んでいかれることの重要性をあらためて感じたいっけんでした。
今は司祭も高齢化、司祭と修道者の人数も昔のようなわけにはいかず、司祭は担当する小教区をまわりミサをあげるだけで十分に忙しい…司祭に信徒の十分な教育を、とお願いしたくてもどうみても時間がない。適性を十分に見極められた上で、継続的な教育を受けた信徒カテキスタの早急なニーズをひしひしと感じています。あちこちにネットワークを広げながら学びの場があれば車に飛び乗り大学であれ、他の小教区のお勉強会であれ、研修であれ、講話であれ、とまるで受験の時のような時間を過ごしてきましたが、やはり落ち着いて学べる場所と機会が欲しい、神様のことを知らない人達に伝えて行きたい、信仰をもとうとしている人達に十分に納得してから入信してほしい、と試行錯誤ですが、神様がそのうち「ほらほら、ちょっとここに落ち着いて学びなさい。ほら、この方が先生だよ。」とおっしゃってくださるのを待っています。
ありがとうございます。教えていただいたお話をその志願者の方にお伝えします。教えていただいた聖人と神父様のことも調べてみます。
私はスポーツは大の苦手、教会とスポーツは私には絶対無理ですが、私なりのお恵みを生かして伝え続けたいです。
すみません、いつもこんなかたい話ばかりしているわけではないのですが、ついつい、苦笑。いつもは、冗談を言って大笑いばかりしている面白いオバサンです。

Re:教会とスポーツ

投稿者 マルコ 投稿日時: 2011年04月20日 02時12分
Angelaさん、口を挟んで失礼します。私にとって日本で働いたときに先例志願者などの準備のために、日本語も下手だから、大変役に立ったのは家庭の友、カトリック生活などの雑誌、カトリック関係、ぱうろかいのHP でした。やはり誰にもすぐわかりやすく細かいことについても話してくださる本など最近たくさん出てきました。信者同士はモット互いの知識を分かち合いすればいいことだと思います。洗礼名のことについてもみんな知っているのですがいろいろ疑問、わからないこともしばしば耳にしました。あたらしくうまれること、その選んだ聖人などの生涯と特徴が自分にとって見習いたい、自分の人生の模範にしたいなど、これで僕が洗礼名について説明しました。いくら古くても聖人伝などを志願者に渡して選んでもらったことがとてもよかったと思います。すみませんでした、Angelaさんとその志願者のために祈らせていただきます。よい聖週間と実り多いご復活祭を。マルコ神父

Re:教会とスポーツ

投稿者 Angela 投稿日時: 2011年05月04日 16時33分
マルコ神父様、コメントありがとうございます。司教様のページはたくさんの方が興味を持って見ていらっしゃるのですね。私も信者同士で互いに学びあえる場所はとても必要だといつも思っています。昨年あたりから教会に興味をもたれて訪れ始めた方や、色々な悩みを持って教会に来られる方、洗礼を望んでお勉強をしていらっしゃる方達と共に時間を過ごすようにしてきました。最近よく思うのですが、分かって洗礼を受けたはずの方達が実は色んなことの意味を知らずに洗礼を受けてしまわれている、ということです。代親や洗礼名や霊名の意味、洗礼の最後の準備をする大切な期間のこと、洗礼式当日のこと…洗礼、堅信は続いて行われますから、そこがどう違うのか、などなど大切なことがたくさんあるのによくご存じないまま。今年は、洗礼をおうけになった方達と一緒に準備をしてきて本当に自分のためにもなりました。たまに、Angelaは考えが古い、厳しい、と言われることがあります。でも、時代にそって近代的になる、ということと、いいかげんにする、ということは全く別だと思っています。変わるはずのない本質はみながきちんと理解していなければ何のための信仰かわかりませんもの。本も今はたくさんいい本、分かりやすい本がありますね。今年の準備でも「これは、いい!」という本を何冊かみつけました。古い本にもいいものがありました。それに、今年自分の学びになったのは式次第です。Palm Sundayの式次第、復活徹夜歳、洗礼式、堅信式の式次第。注意書きがされていますが、これがたくさんのことを気付かせてくれました。志願者の方達に説明する時もそのコピーに書き込みをして使いましたが、とてもよかったです。たくさん信者がいますが、中には私のように本質を守る信者がいるのも悪くないのでは、と思っています。典礼も色んなことが第二バチカン公会議以降現代化されていますが、今の典礼しか知らない若い子達のことが心配です。本当の深い意味にたくさんの大切な意味があるのですが、本質を知らずに現象だけをすべて、と思ってしまっているのが気になります。
神父様方も本当にお忙しくてお大変だろうといつも感謝とともに心配もしてお祈りをしております。でも、どうぞ、どうぞ、信者が何のために信仰をもったのか、どう生きなければならないか、そして、信者もみ言葉を伝える者であることを私たちに伝え続けてくださいね。私たちが流されないよう注意を喚起し続けてください。
司教様や神父様方の上に、神様の豊かなお恵みがいつもありますようお祈りしております。
Angela
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