教会とスポーツ
教会とスポーツ。数ヶ月前に頂いた手紙の意図することに戸惑った。ハテ何のことだろう。とっさに脈絡をつけられないでいたら今日その解を得た。
手紙の主が直接参上されてカクカクシカジカ。なんと、教皇庁の信徒評議会の一部門として前教皇の提唱で2004年設置されたものと分かった。アメリカでは“Catholic athlete for Christ”(カトリックの運動選手はキリストのため)の名で、メジャーリーグの一流選手たちがこの部門で活躍しているという。
その様子を紹介するDVDを三章だけ見せてもらった。最初のタイトルは謙遜。野球は自分を謙虚にしてくれると証言するのはやはり一流選手たち。失敗したときは当然だが、ホームランを打ったりファインプレーをして喝采を浴びるときは「神様あなたがナンバーワン!」と叫ぶのだという。十字を切って指を立てて天を突くしぐさがそうなんだという。二番目のタイトルは祈り。神様と直接対話することを薦めていて興味深かった。
そして最後はミサ。アメリカでも日曜日にスポーツをすることが多くてミサに行く子が少ないのは日本と同じだという。野球選手のためのチャプレンが任命されていて、日曜日の試合前にミサが捧げられる。子供たちが憧れる野球選手たちの熱い信仰の分かち合いは、子供たちの心をわしづかみにしているらしい。
で、教会とスポーツ。カトリック信者の一流選手たちが野球の指導をするのではなくて、彼らの信仰体験を語るのがアメリカでの活動。「日本でもこうした宣教活動を立ち上げたい」と二時間ほど熱く語って帰られた。日本でどう展開できるのか見当もつかないが、「新しい宣教がここにある!」と確信したあのお2人ならきっとことを起こしてくれそうな予感がした。それにしても、大リーガーにかくも宣教熱心な選手たちがいたとは!
「カトリックのランナーはキリストのため!」なんだか檄を飛ばされた感じなのだが・・・。ともあれ今日のランは4つの上りを制する団地コース13キロ。久しぶりだったがまあまあ。
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Re:教会とスポーツ
いくつかのコメント読みました。洗礼のとき名前を二つもらうというのは身近なところでは聞いたことがありませんが、私の知っているところでは聖ホセマリア・エスクリバーという聖人はホセ=イエスとマリアの二つを頂いています。また、サンタ・マリア・ヨセフという神父さんが鹿児島にいます。この人たちは幼児洗礼なので親がつけてあげたわけですが、日本人でも可能なんじゃないでしょうか。
Re:教会とスポーツ
ありがとうございます。…なるほど、複数の洗礼名が存在することはするのですね。志願者の方は最初福音記者ルカとマキシリアノ・コルベのどちらにするか迷っていらっしゃいましたら、モデラトールの「一つは堅信名で」とのアドバイスにより、洗礼名を福音記者ルカ、霊名をマキシミリアノ・マリア・コルベにすることにされました。ということは、その方が洗礼をお受けになった後はルカ・マキシミリアノ・マリア・コルベxxxxとなるのでしょうかね?なぜ、日本やインドなど一部の国で霊名という形式があるか、という疑問についてはある外国の宣教会の司祭がこうおっしゃっていました。修道会では洗礼名はもちろんだが、堅信名、修道名といただくでしょ。おそらく日本やインドに最初に宣教に来た宣教師達が修道会的なやり方を一般信徒にも持ち込み、それがそのまま形式化したのでしょう。とても修道会的な考え方ですね。でも信徒は特に霊名にこだわらなくてもいいんじゃないですか?と。なるほど、そういうことだったのか、と納得しています。
ともあれ、志願者やキリスト教や教会に興味をお持ちになって教会にいらっしゃる方にはやはりきちんとした説明を持ってものごとを伝えなければ、とつくづくと思いました。「何か分からない」ならまだその時点では安易に物事を行って欲しくないな、と。このご復活祭に洗礼をたまわる志願者お二人と一緒に準備をしてきましたが、私にとっても大きな学びとなりました。何より志願者の方達が自分達が今から臨もうとしている道がどのような意味を持つのか、ということを理解していただいて洗礼を受け、信仰を育んでいかれることの重要性をあらためて感じたいっけんでした。
今は司祭も高齢化、司祭と修道者の人数も昔のようなわけにはいかず、司祭は担当する小教区をまわりミサをあげるだけで十分に忙しい…司祭に信徒の十分な教育を、とお願いしたくてもどうみても時間がない。適性を十分に見極められた上で、継続的な教育を受けた信徒カテキスタの早急なニーズをひしひしと感じています。あちこちにネットワークを広げながら学びの場があれば車に飛び乗り大学であれ、他の小教区のお勉強会であれ、研修であれ、講話であれ、とまるで受験の時のような時間を過ごしてきましたが、やはり落ち着いて学べる場所と機会が欲しい、神様のことを知らない人達に伝えて行きたい、信仰をもとうとしている人達に十分に納得してから入信してほしい、と試行錯誤ですが、神様がそのうち「ほらほら、ちょっとここに落ち着いて学びなさい。ほら、この方が先生だよ。」とおっしゃってくださるのを待っています。
ありがとうございます。教えていただいたお話をその志願者の方にお伝えします。教えていただいた聖人と神父様のことも調べてみます。
私はスポーツは大の苦手、教会とスポーツは私には絶対無理ですが、私なりのお恵みを生かして伝え続けたいです。
すみません、いつもこんなかたい話ばかりしているわけではないのですが、ついつい、苦笑。いつもは、冗談を言って大笑いばかりしている面白いオバサンです。
Re:教会とスポーツ
Re:教会とスポーツ
神父様方も本当にお忙しくてお大変だろうといつも感謝とともに心配もしてお祈りをしております。でも、どうぞ、どうぞ、信者が何のために信仰をもったのか、どう生きなければならないか、そして、信者もみ言葉を伝える者であることを私たちに伝え続けてくださいね。私たちが流されないよう注意を喚起し続けてください。
司教様や神父様方の上に、神様の豊かなお恵みがいつもありますようお祈りしております。
Angela