教会の社会的貢献
祈りの教区となるために。昨日の司祭評議会のテーマ。祈らなくなった信者。祈れなくなった信者。
具体的に言えば、「食膳のお祈り」もしないで食べる信者。神様から頂いた命を養うために供される食物。友人の神主さんが教えてくれた。「人間は動植物の命を犠牲にして自分の命を維持している。だから、そんなもろもろの命に感謝するために合掌する。」なんと麗しい心であることかと感動した。そんな感謝の心をはぐくんでもらうために、地域の子供たちを集めているということだった。
ともあれ、カトリック信者の家庭でありながら、「いただきます」だけでは淋しすぎる。もっともきちんとできる家庭もあるとは思うが・・・。同席の宣教師が「イタリアではお祈りなしで十字を切るだけ。やっとつながっている」と言って笑った。そういえば、20年ほど前に出会ったアメリカ人のシスターが「アーお腹すいたわー」とかなんとか言いながらいきなり食べ始めた姿が蘇った。日本の教会もアメリカの後を行く?
もう一つ教会が苦慮している問題が、とくに、日曜日も子供たちだけでなく親たちをも巻き込んだ地域と学校のスポーツ。一人欠けるとみんなに迷惑、という理屈がまかり通る。しかし、「この時間はミサがあってどうしても出ることができないので他の時間に頑張ります」と先生に言いなさい。小教区の司祭が中2の生徒にチャレンジした。勇気あるエースアタッカーの彼女はその旨先生に伝えた。先生は快く受け入れただけでなく、「おや、今日はミサに行かなくていいのか?」と心配してくれるようになった。こんな若い子供たちが、信者としての立場を表明しながら生きていける手助けをすることは、教会の社会的貢献と言えないか。
素直。素に真っ直ぐ。ボクらにとっての素は神様。食膳のお祈りという簡単なことから始まって、いつでも、神様に真っ直ぐつながることができるなら、逆境にも強い子供になるに違いない。一人で祈れる子供の養成が肝要。9月の教区評議会を視野に入れての話し合いはなかなか充実したものだった。
今日の司祭定例会のメインはぺトロ・パウロのミサ。説教を他の霊名の司祭に依頼。ラクをした。拝領後のリコーダとフルートの合奏も斬新でよかった。昼食後分かち合い。
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