教会の進化とともに
1964年に発布されたパウロ6世の回勅「エクレジアンム・スアム」が対話の大憲章と言われるということは前に書いた。
同じ年諸宗教事務局発足。その回勅の発布20周年を記念して1984年に出されたのが「対話と宣教」という指針。対話がキリスト教以外の宗教に対する新しい態度であると指摘。
この指針を受けるかのように、その3年後、真命山東西霊性交流センターが産声を上げた。その主人公こそ、公会議を影で支え大きな推進力となって活躍した重要な神学者の一人現所長のフランコ神父さんその人。学究の世界と実際の生活の統合への道が開かれたということで画期的な出来事。日本教会はこの事実をもう少し知る必要がある。
ともあれ、7年後の1991年、諸宗教事務局は諸宗教対話評議会と名を改め、指針「対話と宣言」を発布。教会の進化を実感。いずれにしても、世界の平和のために手を取り合って協力しようと先に呼びかけたのが教会だったということは誇りに思っていい。しかし諸宗教対話は「宣教のさまざまな形の一つ」のままあまり省みられていないのが現状のようだ。
午後は最後のお寺訪問。熊本南部にある700年の古い禅寺。16世紀の宣教師がこの寺の住職から字を習ったといわれる。現在の住職は87代目。「禅の心は何ですか?」「何ですかと聞かれても説明できるようなものではない。私の場合は子供たちに空手の指導をしながら正しく生きることを教えている。これが禅の心。他力ではない。自分あるのみ。自分を追求し自然の真理と一体となる。仏を敬い人を愛する。これしかない。お宅も同じでしょう!」「いや違うんです。私たちは神を愛するんです。」「私には何で神を愛するのか分かりませんなあ。」・・・
これまでのお寺の訪問で感じたのは、四つのお寺みんな別の宗派とはいえ、教えそのものは複雑なようだが説かれることはきわめて単純明快。重厚な門構えと古色蒼然とした本堂の荘厳さとの落差に驚く。だから受けるのかもしれない。
ともあれ、ボクの諸宗教対話の旅は緒についたばかりだ。
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