教会復活
「教会復活があるとすればそれは今一番元気なグループや運動の手中にあると考える人々がいますが・・・」
パリ大司教区のバン・トロア枢機卿がこの質問に答えた。「・・・教会はそうした一部の人々のためだけにあるのではなく、福音はすべての人々に告げ知らされるべきものです。教会はすべての人の一致のしるし(秘蹟)。そこに向かってすでに選びをなした人もいれば、まだその途中にある人、いや歩み始めたばかりの人もいます。今年の復活祭でノートルダム聖堂で311名の大人の洗礼がありました。要するに、教会の基となるのは一部の飛びぬけた信者たちではなく、信仰においても生活においてもそこそこの人々なのです。つまり、罪びと、キリストの足跡をたどろうとする罪を赦された人々なのです。福音の宣言はいつも始まり。私たちはいつもスタート地点に立っているのです。」
司教叙階後まもなくいろいろの贈呈月刊誌が届くようになった。日本語から英文のものまでさまざま。ぱらぱらめくる程度で教会の「ご自由にお持ちください」コーナーに置くのが常だった。先週手にした「30DAYS」誌のいくつかの記事に目が留まった。一つ目は冒頭に紹介したもの。もう一つはあの目を閉じた面長のキリストの顔の写った聖骸布を巡る記事。はじめてみる目を開けたイエスの顔は一見中国人?との印象だがカプチン修道院に安置されているという。
次のページを開くとその前で敬虔なお祈り姿のベネディクト16世が背後から写されていた。パパさまもこうした信心をお持ちなんだと認識を新たにした。なんだか少し身近に感じられた。
霊名のお祝いのカードニつにやっと返事が書けた。「牧師さんに会いたい」との下からの電話で降りてみると案の定?お金の無心。帰りの運賃2万円はベラボウメと思ったが、1000円に値引き?してもらった。
4:00教区司祭会議。治療中の司祭以外ほぼ全員出席。テーマは「教区現状の分かち合い」とあったが、司祭年をどう過ごすか。教区司祭の会議のあり方など、ボクとしてはかなり本質的な問いかけをしたかったのだが。すべて中途半端な「分かち合い」で終わった。会食はそれなりに盛り上がった。
「長崎の鐘」実行委員の中心人物田之上さん来訪。チケットの販売が低調とのことでかなりパニック。カトリックは泰然自若。それがもどかしい!しかし、司祭たちにハッパをかけたのだが・・・。当日は1500席を満杯にしなければ!ベトナム4人組は大元気。せめてもの慰め。
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